【オーナーコラム#6】繊細さんブームが残したもの | HSPの「自己理解」の先にある孤独について

【オーナーコラム#6】繊細さんブームが残したもの | HSPの「自己理解」の先にある孤独について

繊細さんの本を読んで、自分がHSPだと知った。それだけで少し楽になった。

でも、本を閉じたあとの部屋には誰もいなかった。

自己理解の先にある「理解されない孤独」について、レンタルフレンド運営者が静かに考えたこと。

目次

「繊細さん」の本が、棚に並び始めた頃のこと

あの頃、書店に行くたびに目に入るようになった。

  • 「繊細さんの本」
  • 「HSPの教科書」
  • 「気にしすぎるあなたへ」

平積みの棚にずらりと並ぶそれらを見て、私は少しほっとしていた。

ようやく時代が追いついてきた、と思った。

内向的であること、感受性が強いこと、人の気分に影響されやすいことに名前がつく。それだけで救われる人がいる。

「自分はおかしいんじゃない」と思える。

以前書いた「人見知りは直すもの」という思い込みの話にも通じるけれど、「あなたはそのままでいい」と書かれた本が売れること自体、私には希望に見えた。

でも、しばらくして気づいたことがある。

本を読んで自分を理解できた人は増えた。

けれど、その人たちの隣に「わかってくれる人」が増えたわけではなかった。

理解と、理解されることの間にある溝

HSPという言葉が広まって、自分の感覚に名前がつく。それは確かに大きな一歩だと思う。

ただ、自己診断をして「やっぱり私はHSPだった」とわかったとして、その次にどうするか。

多くの人が直面するのは、「わかったけど、どうしようもない」という壁だ。

職場の飲み会はしんどい。でも断れない。友人の悩み相談を聞くと自分まで沈む。

  • でも断ったら嫌われる。
  • 一人の時間が必要だと理解した。
  • でも「付き合い悪い」と思われたくない。

自己理解が進むほど、周囲とのズレがくっきり見えてくる。

これは私の感覚だけど、繊細さんブームのあと、かえって孤独を深めた人がいるのではないかと思っている。

名前がついたことで、以前より自分の状態を説明できるようにはなった。

でも説明したところで「考えすぎだよ」「気にしすぎ」と返される。

あるいは、最初は「そうだったんだね」と理解を示してくれた友人も、半年もすれば以前と同じように接してくる。

理解されるって、一回で済むものじゃない。でもそれを毎回求めるのは重い。

ここにある溝を、私はずっと気にしていた。

本の続きを、誰が引き受けるのか

繊細さんの本には、たいてい最後のほうに「自分を大切にしましょう」「無理をしないことが大事です」と書いてある。

それは正しいと思う。でも私はいつも、その先が気になっていた。

自分を大切にしたい。無理をしたくない。わかっている。

でも現実は、明日も職場に行かなければいけないし、LINEグループの通知は鳴り続けるし、母親から電話がかかってくる。

本を閉じたあと、一人の部屋で「それでも私はどうすればいいの」と思っている人がいるはずだ。

「わかってほしい」の行き先

この仕事を始める前、私はぼんやりと考えていた。

カウンセリングは敷居が高い。友達に話すと気を遣わせる。家族には心配をかけたくない。SNSに書くのは怖い。

繊細さんが「わかってほしい」と思ったとき、その気持ちを向ける先がない。

いや、正確に言うと「ある」のかもしれない。でも、どこに向けてもリスクがある。

理解されないかもしれない、引かれるかもしれない、面倒くさがられるかもしれない。

そういうリスクを瞬時に計算してしまうのが、繊細な人の特徴でもある。

結果、黙る。一人で処理する。本をもう一冊買う。

このサイクルをなんとかできないか、というのが「ふたりしずかに」を作った動機のひとつだった。

たぶん、全部じゃないけれど、大きなひとつ。

ふと思い出すのは、昔読んだ本の一節で、「人は理解されたいのではなく、理解しようとしてくれる人がそばにいてほしいだけだ」という趣旨のことが書いてあった。

正確な引用じゃないけれど、あの一文はずっと私の中に残っている。

完全に理解してもらうのは無理だ。HSPの感覚を、HSPじゃない人が完全にわかるのは無理だし、同じHSPでも個人差がある。

でも「わかろうとしてくれている」と感じられる相手がそばにいるだけで、人はだいぶ楽になる。

「大丈夫」って言わなくていい場所の話で書いたこととも重なるけれど、繊細な人ほど、日常で「大丈夫です」と言い続けている。

その「大丈夫」を降ろせる時間が必要なのだと、私は思っている。

ブームの先にあるもの

HSPブームがいつか落ち着いて、書店から本が減っても、繊細な人はいなくならない。当たり前のことだけど。

流行が去ると、名前を得たはずの感覚がまた「気にしすぎ」に戻る可能性もある。

そのとき、自分の感覚を否定せずにいられるかどうかは、そばに一人でも「そのままでいいよ」と思ってくれる人がいるかどうかに、たぶんかかっている。

私がこのサービスで何かできるとしたら、そこだと思った。

本は閉じれば終わる。でも、人は閉じない。少なくとも、わかろうとすることをやめなければ。

これは私の感覚だけど、繊細さんというラベルが必要な時期と、もうラベルがいらなくなる時期がある気がしている。

最初は「HSPだからしんどいんだ」と理由がわかって楽になる。

でもいつか「HSPかどうかはもうどうでもよくて、ただ今の自分がしんどい」というフェーズが来る。

そのフェーズで必要なのは、もう本じゃなくて、人だ。

うまく言えないけど、私はたぶん、そういう人のために何かしたかったんだと思う。

まだ答えは出ていない。出ていないけれど、この仕事をしながら、考え続けている。

→ だから私はこう決めた。次の話はこちらで。

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