歯の矯正をしようか迷っていた頃、いちばん長く悩んだのは費用でも期間でもありませんでした。
人と会いながら矯正なんて続けられるんだろうか、ということです。
私は本業のかたわら「ふたりしずかに」を運営していて、人と長く話したり、一緒に食事をしたりする時間が日常にあります。口の中に金属の装置が入った状態で、初対面の相手と向き合えるのか。笑ったときに銀色が光るのを、相手はどう見るのか。
でも本当のところ、矯正を決めた根っこにあったのは、もっと前からの悩みでした。
歯並びが悪くて、笑うときにいつも少しだけ口を隠していたんです。
写真に写るのが苦手でした。人と話していて楽しい瞬間ほど、つい手が口元にいく。心から笑っているのに、その笑顔を相手にちゃんと見せられない。これが地味に、長いあいだ私を縛っていました。
調べても、出てくるのは費用や期間の話ばかり。「人と会う生活を続けながら矯正した」という生活目線の記録は、ほとんど見つかりません。誰も書いていないなら、自分で残しておこう。そう思って始めたのがこのメモです。
先に結論を言ってしまうと、2年半続けて、人付き合いへの影響はほぼゼロでした。唯一の壁は、ワイヤーを交換したあとの3日間だけ。痛みも不便も、濁さず時系列で書いていきます。
ちなみにこれは私個人の体験で、医学的に正しいことを保証するものではありません。痛みの出方も期間も人それぞれなので、検討するときは矯正歯科の先生に相談してくださいね。
自分では、どうにもできなかった
きっかけは、口元がずっとコンプレックスだったことです。
叢生(そうせい)といって、歯がガタガタに重なって生えていました。だから笑うとき、無意識に口を引きしめる癖がついていた。楽しい場面でこそ、その癖が出る。我ながら、もったいない笑い方をしていたと思います。
肌や髪や爪は、ケア用品を探せばある程度は自分でなんとかなります。でも歯並びだけは、笑い方を工夫してもごまかしきれない。鏡の前で口角の上げ方を練習したこともありましたが、根本は変わらないんですよね。自分の努力ではどうにもならない領域でした。
ある時から、こう割り切るようになりました。自分でどうにもできない部分には、プロの手を借りてお金を払う。そう考えたら、矯正も医療脱毛も、同じ「自己投資」の棚にすっと並びました。
2年半後、今より少し若々しく、口を隠さずまっすぐ笑っている自分を想像する。すると目の前の費用も期間も、意味のある投資に思えてくる。
そうやって自分を納得させて、矯正の椅子に座りました。文章にすると小難しく見えるかもしれませんが、要は「笑うとき口を隠したくないな」というだけの話です。
1〜2ヶ月目、拍子抜けするほど痛くなかった
始める前にいちばん覚悟していたのは痛みでした。
「ご飯が食べられないくらい痛い」と経験者にさんざん聞いていたので。ところが2回目の調整を終えても、痛みらしい痛みはほとんどありませんでした。
1ヶ月で動いたのは、たったの0.6ミリ。「これで合っているの?」と不安になるくらいゆっくりです。でも逆に言えば、その分だけ体への負担も小さい。
人と会うことへの影響はゼロでした。誰かと話している最中に痛みで気が散ることもないし、装置が当たって会話に困ることもない。最初の関門は、思っていたよりあっさり越えられました。
唯一気にしていたのは見た目です。上の歯に装置がついているので、笑うと銀色が光る。でもこれは後で書くとおり、ほとんど杞憂でした。
3〜5ヶ月目、太いワイヤーの洗礼
ここで初めて、世間で言う「矯正の痛み」を味わいました。
太いワイヤーに替えた当日と、その翌日がはっきり痛い。歯が浮くような、噛むと鈍く響くような感覚です。
ただこの痛みには、大事な特徴があります。「いつ来るか」がほぼ読める。痛むのは調整した当日(6時間後くらい)から、3日間くらいだけ。交換した直後はむしろ痛くなくて、締め付けられる感じがするだけなんです。
だから私は、ワイヤー調整の日のあとは3日間ほど、人と会う約束をなるべく入れないようにしました。これだけで、痛みと予定が重なるのをほぼ防げます。
余談ですが、同じ時期に医療脱毛も始めました。歯も脱毛も、自分の手では仕上げられない身だしなみ。出費は痛いけれど、どちらも未来の自分に積み上がっていくもの。財布は痛い、でも前向き。我ながら都合のいい脳みそだと思います。
6〜7ヶ月目、下の歯にもワイヤーが入った
「上下になったら、一気に喋りづらくなるのでは」と身構えていました。これも拍子抜け。
下の歯のワイヤーは、上ほど唇や頬の内側に当たらないみたいで、違和感がほとんどない。見た目も、下の歯は笑っても上ほど見えないので目立ちません。
人と話すときの発音にも影響はなく、会話はいつもどおりでした。
このあたりで、「装置があること」そのものには完全に慣れました。気をつけるべきは見た目より痛みの管理なんだな、と分かってきた時期です。
8〜9ヶ月目、いちばん痛くて、いちばん動いた
8ヶ月目が、いちばん痛かった時期です。
前歯が大きく動き始めて、コンプレックスだった叢生がぐっと整列に向かい始めました。動いている実感がある分、痛みも本物でした。
でもこの頃には、痛みとの付き合い方をすっかり覚えていました。痛むのは調整後の数日だけ。その期間はやわらかいものを食べて、必要なら痛み止めを飲む。痛みのピークが読めるから、人と会う予定もそこを避けて組める。
この2ヶ月で、約1cm動きました。
毎月撮っている口の中の写真を見比べると、痛い分だけちゃんと動いているのが目で分かる。痛みが「成果の手応え」に変わると、不思議とそこまで苦じゃなくなるんですよね。
10〜11ヶ月目、停滞期という名の正念場
あれだけ動いた前歯が、10ヶ月目にぴたっと止まりました。いわゆる停滞期です。
写真を見比べても、先月との違いがほとんどない。これがメンタル的にはいちばんきつい時期でした。痛みはあるのに、進んでいる気がしない。
でも先生いわく、最近の矯正器具は性能が上がっていて、昔なら3年かかった治療が半分くらいでできるとのこと。停滞期も計画のうちと聞いて、少し落ち着きました。
そして11ヶ月目、歯を動かすスペースを作るために抜歯の話が出ました。抜歯と聞いて身構えたけれど、これもゴールに必要な一歩。覚悟を決めて、口腔外科を予約しました。
12〜14ヶ月目、3ヶ月で3本抜いた
14ヶ月目、ついに3本抜歯しました。1ヶ月に1本ずつ、計3本です。
余談ですが、私から見て「左上4番」の歯は、歯医者さんから見ると「右上4番」と呼ぶそうです。患者と対面したときに「正面から見て右か左か」で判断するんだとか。なんのこっちゃと思いつつ、豆知識として無駄に詳しくなりました。
しかも同じ時期にワイヤーも太めに交換になって、これは正直しんどかった。抜歯の痛みなのかワイヤーの痛みなのか、区別もつかない。ただただ痛い。区別がついたところでどうしようもないんですけど、もどかしいものです。
このときばかりは、抜歯後なので人と会う予定を意識して控えめにしました。頬が腫れるし、口を大きく開けるのもつらい。出血が止まるまでは、無理をしないのがいちばんです。
幸い「いつ抜くか」は相談のうえで日程を選べます。予定に余裕のある時期を狙って予約するといいですよ。
1年前の写真と見比べると、歯並びは見違えるほど整ってきていました。月単位だと1ミリの牛歩でも、1年積み重なれば確かな変化になる。
14〜24ヶ月目、変化なき後半戦
14ヶ月目を越えてからの後半戦は、正直なところ書くことがあまりありません。それくらい淡々とした日々が続きました。
1ヶ月で動くのは0.5ミリから1.0ミリ。抜歯で空いた隙間を埋めるために、ゆっくり動かしていきます。1年半を過ぎると、その隙間もほぼ埋まってくる。
そうなると、前半のような劇的な変化はもうありません。整った位置に歯がしっかり固定されるのを、ただ待ち、ただ耐える期間です。
毎月の調整も、太いワイヤーへの交換も、やっていることは変わらない。痛みのサイクルも同じで、替えた直後の数日が痛んで、あとは落ち着く。その繰り返しでした。
この後半戦でいちばん必要なのは、忍耐です。見た目はもうほぼ完成しているのに、まだ装置は外せない。動かした歯を新しい位置に定着させる時間が必要なんですね。
ここで気を抜くと後戻りすると聞いて、地味だけど大事な期間だと言い聞かせながら通い続けました。
人と会う場面で、困ったことはあった?
ここがいちばん気になるところだと思います。装置のついた口で、いつもどおり人と会えるのか。濁さずに書きます。
結論から言うと、食事のときだけ少しコツがいりました。
調整直後の数日は、固いものが噛めません。だからその時期に「焼肉に行こう」「コースを予約した」と言われると、地味に困る。アフタヌーンティーも、実はけっこう鬼門でした。クッキーやスコーンは固いし、装置に詰まる。固いのと挟まるのとでダブルパンチなんです。
でも逆に言えば、痛い時期さえ避ければ何の問題もありません。私はワイヤー交換のあとの3日間だけ、食事のお誘いを「カフェでお茶」くらいの軽いプランにずらしていました。やわらかいケーキを一緒に食べるくらいなら、痛い時期でも成り立つ。
それから、矯正装置には食べかすが残りやすいんです。麺類やほうれん草を食べると、装置のあらゆる隙間に繊維が挟まる。だから人と会う前は歯磨きがより念入りになりました。携帯用の電動歯ブラシを持ち歩くようになったのも、矯正を始めてからです。
人と近い距離で過ごす生活だからこそ、口元の清潔は大事にしたい。むしろ矯正中は虫歯厳禁なので、口腔ケアの意識が上がったぶん、以前より口の中はきれいになった自信があります。
婚活中の矯正、という相談を受けて
これは私自身の話ではなく、知り合いから受けた相談です。
その方は当時、本気で婚活をしていました。マッチングアプリにも登録して、毎週のように初対面の相手と会っていた時期。そんなさなかに歯列矯正を始めるかどうかで、ずいぶん悩んでいました。
「これから人に会う機会が増えるのに、口元に金属が入っているなんてマイナスでしかないんじゃないか」。彼女の不安は、矯正を始める前の私とそっくりでした。
結論を先に言うと、矯正は婚活の妨げにはなりませんでした。
初対面で装置に気づかれることは、ほとんどなかったそうです。自分が思うほど、相手の視界にも感覚にも装置は入っていない。薄暗いお店ならなおさら。もし気づかれても、「矯正中なんです」のひと言で済む。むしろそこから会話が転がることのほうが多かった、と彼女は言っていました。
「私も昔やってたよ」「興味あるんだけど痛い?」「実際いくらかかるの?」。そう聞いてくる相手が、思っていたよりずっと多かったそうです。矯正経験者って、世の中にこんなにいるんですね。同じ経験をしている人同士、痛みや期間の話で一気に距離が縮まる。装置が会話のきっかけになることすらある。
ひとつだけ彼女に伝えたのは、調整明けの数日は食事デートを避けたほうがいい、ということでした。固いものが食べられない時期に焼肉やコースを予約されると、せっかくのデートが台無しになる。だから初対面の約束は、痛みが落ち着いたタイミングで入れる。これだけで、ほとんどの問題は防げます。
彼女はその後、無事に矯正を続けながら婚活も続けていました。マイナスを恐れて先延ばしにするより、整った歯で堂々と笑えるほうが、長い目で見れば武器になる。隣で見ていて、そう思いました。
これから矯正しようか迷っているあなたへ
2年半分の記録を振り返って、もし矯正前の自分に声をかけられるなら、「思いきってやっていいよ」と言います。
不安だった「人と会う生活と矯正の両立」は、フタを開けてみればほとんど問題になりませんでした。唯一の壁は、ワイヤー交換後の3日間だけ。でもそこは、軽いプランに切り替えれば乗り切れる。痛い時期は読めるんだから、予定のほうを合わせればいいんです。
矯正装置に気づかれて引かれることもなかったし、「私もやってたよ」と共感してくれる人のおかげで、むしろ会話のきっかけにすらなりました。
ひとつだけ正直に伝えておきたいのは、抜歯のような大きな処置のときは無理をしないでほしいということ。あの数日だけは、自分を休ませてあげてください。腫れた頬で無理に笑顔を作るより、しっかり回復して戻るほうが、相手にも自分にも誠実だと思うから。
歯並びは、自分ではどうにもできない身だしなみです。だからこそ、プロの手とお金と時間をかける価値がある。
笑うとき、もう口を隠さなくていい。2年半かけて手に入れたのは、まっすぐ笑える自分でした。
この記録が、同じように迷っている誰かの背中を、ほんの少し押せたらうれしいです。

