カフェでほぼ無言のまま過ぎた2時間。
フレンドの報告を読んで心配した翌日、届いたメッセージには「最高でした」と書かれていた。
一人が寂しい、でも話すのはしんどい。
その矛盾を抱えた方が教えてくれた、「ただそばにいる」ことの意味について。
沈黙の中で起きていたこと
その方は、カフェに着いてから帰るまで、ほとんど何も話さなかった。
フレンドからの報告を読んだとき、私は少し心配になった。
- 「楽しめなかったのかもしれない」
- 「何か不満があったんじゃないか」
うちのサービスでは、利用後にフレンドから簡単な報告をもらうことがある。
その日の報告には「会話はほとんどありませんでした」と書かれていた。
正直に言うと、胸がざわついた。
ところが、その翌日に届いたメッセージでひっくり返された。
「昨日は最高でした」と書いてあった。
最高。あの、ほぼ無言だった2時間が。
私はしばらくその画面を見つめたまま、何も返せなかった。
自分がこの仕事についてわかっていなかったことを突きつけられたような気がしたからだ。
「一緒にいる」だけでよかった
その方がどういう事情を抱えていたのか、詳しくは書けない。
ただ、あとから少しだけ教えてくれたのは、「ここ数ヶ月、誰かと同じ空間にいたことがなかった」ということだった。
一人が寂しい。でも人と話すのはしんどい。
この二つは矛盾しているように見えるけれど、私はこの仕事をしていて、これを抱えている方が想像以上に多いことを知っている。
誰かと一緒にいたいのに、「一緒にいる」のハードルが高すぎる。
- 会話を続けなきゃいけない
- 沈黙を気まずく思わせちゃいけない
- 相手の時間を無駄にしてないか気にしなきゃいけない
そういうことを全部考えて、結局一人でいることを選んでしまう。
その方もきっとそうだったんだと思う。たぶん。
カフェのBGMが流れていて、フレンドは向かいに座って本を読んでいた。
その方は窓の外を見たり、飲み物を飲んだり、ときどきスマホを触ったりしていた。
フレンドの報告にはそう書いてあった。
ただそれだけの2時間。
でも、その方にとっては「誰かがそばにいる」という、ただそれだけのことが必要だった。
話しかけてこない。気を遣わなくていい。でも一人じゃない。
これは私の感覚だけど、沈黙って、信頼がないと成り立たないものだと思う。
知らない人との沈黙はただ気まずいだけだ。
でも「この人は黙っていても大丈夫な人だ」とわかった瞬間、沈黙は安心に変わる。
あの2時間で何が起きていたかと聞かれたら、たぶん「信頼が生まれていた」としか言えない。
「話す」がゴールじゃなかった
私は、ふたりしずかにを始めたとき、「話を聞くこと」がサービスの中心だと思っていた。
実際、話を聞いてほしいという方は多いし、そういう声がきっかけでこの仕事の意味を知ったのも事実だ。
でもこの日のことがあって、少し考えが変わった。
話を聞くことは大切だ。けれど、その手前にもう一つ、もっと根っこにある欲求がある。
「誰かのそばにいたい」ということ。話したいかどうかは、その次の話で。
ふと思い出したのだけど、子どもの頃、親が隣の部屋にいるだけで安心して眠れたことがある。
別に何か話しかけてほしかったわけじゃない。
テレビの音が聞こえるとか、食器を洗う音がするとか、その程度のことで十分だった。
大人になっても、たぶんその感覚は消えない。
ただ、大人になると「そういうことを求めている自分」を恥ずかしく思ってしまうのだろう。
もしあなたが「ただ誰かにそばにいてほしい」と思っているなら、それはおかしなことじゃない。
わざわざ話す必要もない。
黙って横にいてくれる人がいるだけで、一日の重さが少し軽くなる。
そういうことは、ある。
沈黙を受け取れるフレンドのこと
あの日担当したフレンドの話を少しだけさせてほしい。
報告には「最初の30分は私から少し話しかけてみましたが、短い返事が返ってきたので、無理に会話を続けないほうがいいと判断しました」と書いてあった。
そのあと、自分は本を開いて、相手のペースに任せた、と。
この判断ができることが、私はすごいと思った。
ふつう、沈黙が続くと焦る。何か話さなきゃ、盛り上げなきゃ、と思う。
それをしなかった。
「この人は今、静かにしていたいんだ」と受け取って、自分もその沈黙の中に一緒にいることを選んだ。
うちでは「相談しなくてもいい」という使い方を歓迎している。
目的がなくていい。
何も相談しなくていいですか、と聞いてくれた方の話も以前書いたけれど、あの方もこの方も、求めていたのは「何かをすること」ではなく「ただ、いること」だったんだと思う。
考えてみれば、友達と過ごす時間だって、本当に心地いい瞬間は会話の合間の沈黙だったりする。
それぞれ別のことをしながら、ときどき「あ、これ見て」と言い合うくらいの。
散歩という選択をした方もいたけれど、横に並んで歩いているだけで十分だったと言っていた。
向かい合うのではなく、同じ方向を見ている。その距離感が、ちょうどいい人もいる。
私がまだわかっていないこと
あの「最高でした」というメッセージを読んでから、私はときどき考える。
人が人を必要とするとき、そこにはいったいどれくらいのバリエーションがあるんだろう、と。
話したい人がいる。聞いてほしい人もいる。
一緒に泣きたい人、笑いたい人。そして、何もしなくていいから、ただそばにいてほしいという人もいる。
全部わかっているつもりなんて言えない。この仕事をどれだけ続けても、たぶんわからないことのほうが多い。
でも、一つだけ確信していることがある。
「話さなきゃいけない」と思い込んでいる人に、「話さなくていいですよ」と伝えることは、想像以上に大きなことだ。それだけで泣く方もいる。
それだけでホッとする方もいる。
沈黙は空白じゃない。沈黙の中にも、ちゃんと何かが流れている。
私はそれを、あの2時間から教わった。
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