友達に会いたい。でも会うと疲れる。
この仕事を始めてから、この言葉を何度聞いたかわからない。
問い合わせのメッセージに書いてあることもあるし、初めてお会いした方がぽつりと口にすることもある。そしてその度に、私は少し黙ってしまう。
うまく返せないのではなくて、その気持ちが自分にもよくわかるからだ。
人に会うと疲れる。内向的な人にとって、これは日常の一部だと思う。
でも厄介なのは、「じゃあ一人でいたいのか」と聞かれると、それも違うということ。一人は楽だけど、ずっと一人だと寂しい。誰かといたいけど、いると消耗する。矛盾している。
自分でもわかっている。わかっているから余計に困る。
この記事では、私がこの矛盾についてどう考えているか、少し書いてみたいと思います。
答えが出ている話ではないです。
ただ、この矛盾を「おかしなこと」だとは思わない、ということだけは先に伝えておきたい。
楽しかったはずなのに、帰り道がしんどい
友達とランチに行く。話も弾んで、笑って、楽しかった。それは嘘じゃない。
でも帰りの電車に乗った途端、どっと疲れが出る。
家に着いたらソファから動けなくなる。次の日まで引きずることもある。そんな経験はないでしょうか。
私自身、これに長いあいだ悩んでいました。楽しかったのに疲れるのは、自分の人付き合いのやり方が間違っているからだと思っていた。
もっとリラックスできればいいのに。もっと自然体でいられればいいのに。
そう思えば思うほど、次に人に会うのが億劫になる。
友達が嫌いなわけじゃない。むしろ好きだから会いたい。でも会うと疲れる。
このループは本当に厄介で、しかも人に説明しづらい。
「楽しかったなら良かったじゃん」と言われて終わりになる。
楽しいことと疲れることは両立するのだけど、そこがなかなか伝わらない。
人付き合いで疲れる自分を、どこか責めていた頃のこと
少し私の話をさせてください。
学生の頃から、私は飲み会の二次会に行くのが苦手だった。
一次会で楽しく過ごしたあと、「次、行こうよ」と言われると、心のどこかでスイッチが切れる感覚があった。
体力的にはまだ大丈夫なのに、気持ちのほうが先にしぼんでしまう。
当時はそれを「ノリが悪い」と自分で思っていた。周りもそう思っていたかもしれない。
社会人になってからは、なおさらだった。歓送迎会、忘年会、休日のバーベキュー。
断るたびにちょっとした罪悪感がある。行けば行ったで翌日ぐったりする。どちらを選んでも後味が悪い。
あの頃の私は、この「人に会うと疲れる」という自分の性質を、明確に欠点だと思っていました。
直すべきもの。克服すべきもの。社会に適応するために乗り越えなければいけないハードル。
でも、この仕事を始めてから、少し見え方が変わった。
疲れるのは、相手のことを考えすぎているから
「人に会うと疲れる」と言う方の話をたくさん聞いてきて、一つ気づいたことがあります。
疲れる人は、相手のことをよく見ている。
会話の途中で、相手の表情の変化に気づく。
「今の言い方、気に障ったかな」と考える。沈黙が続くと、「何か話さなきゃ」と焦る。
相手が楽しんでいるかを常に気にしている。
これが意識的にやっているならまだいいけれど、無意識にやっているから余計に消耗する。
たぶん、これは内向的な人の多くに共通する傾向だと思う。
人付き合いが苦手なのではなくて、人付き合いに対して丁寧すぎるのだ。
丁寧であることはいいことのはずなのに、その丁寧さが自分を削っていく。
ふと思い出したのですが、以前テレビで長距離トラックの運転手さんが「高速道路より下道のほうが疲れる」と言っていた。
信号や歩行者や対向車に気を配り続けるからだ、と。
人付き合いで疲れるのも、たぶんそれに近い。ずっと気を配り続けているから、移動距離以上にエネルギーを使ってしまう。
矛盾は、矛盾のままでいい
友達に会いたいけど、会うと疲れる。
この矛盾を解決しようとすると、だいたい二つの方向に行きつく。
「もっとタフになる」か、「人と会わない」か。
でもどちらも、あまりしっくりこない。タフになれるならとっくになっているし、人と会わなければ寂しさが残る。
私がこの仕事をしながら思うようになったのは、矛盾は矛盾のままでいいんじゃないか、ということです。
会いたいけど疲れる。両方本当。どちらかが間違っているわけではない。
だったら、「会いたい自分」も「疲れる自分」も、どちらも認めてしまえばいいのではないか。
大事なのは、矛盾を解消することじゃなくて、矛盾を抱えたまま楽でいられる方法を探すことなのかもしれない。
これは私の感覚ですが、この仕事をしていると、そう思えることが増えました。
たとえば、会う相手を選ぶ。会う時間を短くする。対面ではなく電話にしてみる。
何も話さない時間を許容してくれる相手を見つける。
そういう小さな工夫で、「会いたい」と「疲れる」のバランスが取れる瞬間がある。
何も話さなかった2時間を「最高でした」と言ってくれた方の話を、いつかこのブログで書くつもりですが、まさにそういうことだと思います。
もし↑と↓のリンクが開けなかったらまだ作成中ってことでごめんなさい。
会っているのに、消耗しない。そんな時間の過ごし方がある。
あるいは、相談しなくてもいい使い方というのも、実はここに繋がっている。
目的がなくていい。話題がなくていい。ただ一緒にいるだけでいい。
そういう前提で人と会うと、驚くほど疲れない。疲れないどころか、むしろ少し元気になる。
この話の続きは、もう少し先で
この矛盾について、私はまだ考え続けています。
「人に会うと疲れる」は、たぶんこの先も変わらない。内向的な人の脳はそういうふうにできている、という研究もあるらしい。
であれば、変えようとするよりも、その前提で心地よくいられる方法を考えたほうがいい。
次の記事では、もう少し踏み込んだ話をします。
「人見知りは直すべきもの」という、多くの人が無意識に背負っている考え方について。
私はこれを「呪い」と呼んでいるのですが、その話はこちらに書きました。
人に会うと疲れる自分を、どうか責めないでほしい。
それは欠点ではなくて、あなたが人を大切にしている証拠だと、私は思っています。

