【オーナーコラム#2】友達に会いたいけど会うと疲れるという矛盾について

【オーナーコラム#2】友達に会いたいけど会うと疲れるという矛盾について

友達に会いたい。でも会うと疲れる。

この仕事を始めてから、この言葉を何度聞いたかわからない。

問い合わせのメッセージに書いてあることもあるし、初めてお会いした方がぽつりと口にすることもある。そしてその度に、私は少し黙ってしまう。

うまく返せないのではなくて、その気持ちが自分にもよくわかるからだ。

人に会うと疲れる。内向的な人にとって、これは日常の一部だと思う。

でも厄介なのは、「じゃあ一人でいたいのか」と聞かれると、それも違うということ。一人は楽だけど、ずっと一人だと寂しい。誰かといたいけど、いると消耗する。矛盾している。

自分でもわかっている。わかっているから余計に困る。

この記事では、私がこの矛盾についてどう考えているか、少し書いてみたいと思います。

答えが出ている話ではないです。

ただ、この矛盾を「おかしなこと」だとは思わない、ということだけは先に伝えておきたい。

目次

楽しかったはずなのに、帰り道がしんどい

友達とランチに行く。話も弾んで、笑って、楽しかった。それは嘘じゃない。

でも帰りの電車に乗った途端、どっと疲れが出る。

家に着いたらソファから動けなくなる。次の日まで引きずることもある。そんな経験はないでしょうか。

私自身、これに長いあいだ悩んでいました。楽しかったのに疲れるのは、自分の人付き合いのやり方が間違っているからだと思っていた。

もっとリラックスできればいいのに。もっと自然体でいられればいいのに。

そう思えば思うほど、次に人に会うのが億劫になる。

友達が嫌いなわけじゃない。むしろ好きだから会いたい。でも会うと疲れる。

このループは本当に厄介で、しかも人に説明しづらい。

「楽しかったなら良かったじゃん」と言われて終わりになる。

楽しいことと疲れることは両立するのだけど、そこがなかなか伝わらない。

人付き合いで疲れる自分を、どこか責めていた頃のこと

少し私の話をさせてください。

学生の頃から、私は飲み会の二次会に行くのが苦手だった。

一次会で楽しく過ごしたあと、「次、行こうよ」と言われると、心のどこかでスイッチが切れる感覚があった。

体力的にはまだ大丈夫なのに、気持ちのほうが先にしぼんでしまう。

当時はそれを「ノリが悪い」と自分で思っていた。周りもそう思っていたかもしれない。

社会人になってからは、なおさらだった。歓送迎会、忘年会、休日のバーベキュー。

断るたびにちょっとした罪悪感がある。行けば行ったで翌日ぐったりする。どちらを選んでも後味が悪い。

あの頃の私は、この「人に会うと疲れる」という自分の性質を、明確に欠点だと思っていました。

直すべきもの。克服すべきもの。社会に適応するために乗り越えなければいけないハードル。

でも、この仕事を始めてから、少し見え方が変わった。

疲れるのは、相手のことを考えすぎているから

「人に会うと疲れる」と言う方の話をたくさん聞いてきて、一つ気づいたことがあります。

疲れる人は、相手のことをよく見ている。

会話の途中で、相手の表情の変化に気づく。

「今の言い方、気に障ったかな」と考える。沈黙が続くと、「何か話さなきゃ」と焦る。

相手が楽しんでいるかを常に気にしている。

これが意識的にやっているならまだいいけれど、無意識にやっているから余計に消耗する。

たぶん、これは内向的な人の多くに共通する傾向だと思う。

人付き合いが苦手なのではなくて、人付き合いに対して丁寧すぎるのだ。

丁寧であることはいいことのはずなのに、その丁寧さが自分を削っていく。

ふと思い出したのですが、以前テレビで長距離トラックの運転手さんが「高速道路より下道のほうが疲れる」と言っていた。

信号や歩行者や対向車に気を配り続けるからだ、と。

人付き合いで疲れるのも、たぶんそれに近い。ずっと気を配り続けているから、移動距離以上にエネルギーを使ってしまう。

矛盾は、矛盾のままでいい

友達に会いたいけど、会うと疲れる。

この矛盾を解決しようとすると、だいたい二つの方向に行きつく。

「もっとタフになる」か、「人と会わない」か。

でもどちらも、あまりしっくりこない。タフになれるならとっくになっているし、人と会わなければ寂しさが残る。

私がこの仕事をしながら思うようになったのは、矛盾は矛盾のままでいいんじゃないか、ということです。

会いたいけど疲れる。両方本当。どちらかが間違っているわけではない。

だったら、「会いたい自分」も「疲れる自分」も、どちらも認めてしまえばいいのではないか。

大事なのは、矛盾を解消することじゃなくて、矛盾を抱えたまま楽でいられる方法を探すことなのかもしれない。

これは私の感覚ですが、この仕事をしていると、そう思えることが増えました。

たとえば、会う相手を選ぶ。会う時間を短くする。対面ではなく電話にしてみる。

何も話さない時間を許容してくれる相手を見つける。

そういう小さな工夫で、「会いたい」と「疲れる」のバランスが取れる瞬間がある。

何も話さなかった2時間を「最高でした」と言ってくれた方の話を、いつかこのブログで書くつもりですが、まさにそういうことだと思います。

もし↑と↓のリンクが開けなかったらまだ作成中ってことでごめんなさい。

会っているのに、消耗しない。そんな時間の過ごし方がある。

あるいは、相談しなくてもいい使い方というのも、実はここに繋がっている。

目的がなくていい。話題がなくていい。ただ一緒にいるだけでいい。

そういう前提で人と会うと、驚くほど疲れない。疲れないどころか、むしろ少し元気になる。

この話の続きは、もう少し先で

この矛盾について、私はまだ考え続けています。

「人に会うと疲れる」は、たぶんこの先も変わらない。内向的な人の脳はそういうふうにできている、という研究もあるらしい。

であれば、変えようとするよりも、その前提で心地よくいられる方法を考えたほうがいい。

次の記事では、もう少し踏み込んだ話をします。

「人見知りは直すべきもの」という、多くの人が無意識に背負っている考え方について。

私はこれを「呪い」と呼んでいるのですが、その話はこちらに書きました

人に会うと疲れる自分を、どうか責めないでほしい。

それは欠点ではなくて、あなたが人を大切にしている証拠だと、私は思っています。

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