冷蔵庫の中に、同じ牛乳が3本並んでいる。
母が買ってきたものです。「あったっけ?」と聞かれて、「あるよ」と答えた翌日に、また1本増えている。怒るほどのことじゃない。笑い話にもできる。
でも、その3本目を見つけたとき、なぜか涙が出そうになった人がいるとしたら、この記事はあなたのために書いています。
親のこと。家のこと。自分のこと。どこからが「介護」で、どこまでが「普通の生活」なのか。その境目がわからないまま、じわじわと日常を圧迫されている感覚。
日曜の夜、実家から自分の家に戻る電車の中で、ぼんやり窓の外を見ている。今日も母の話を聞いて、父の薬を確認して、台所の換気扇が壊れかけていることに気づいて、でも自分にはどうしようもなくて。
明日からまた仕事が始まるのに、頭の中は実家のことでいっぱいのまま。
誰に相談すればいいのかもわからない。病院に連れて行くほどじゃないし、友達に話すには重すぎる。でも確実に、自分の生活が後回しになっている。
そういう「ごちゃまぜ」の状態について、少し正直に書いてみます。
「介護」って言えないから、相談先がない
「介護をしています」と言えたら、たぶん楽です。言葉がつけば、相談窓口がある。制度がある。同じ境遇の人が集まるコミュニティがある。
でも、多くの場合、そこに至る手前の段階がいちばん長くて、いちばんしんどい。
母の物忘れが少し増えた。父が同じ話を繰り返すようになった。実家に帰るたびに、ものの置き場所が変わっている。ガスコンロの火を消し忘れていたことがある。お風呂の栓が抜けたまま何時間もお湯を出していた。
ひとつひとつは「ちょっと心配」で済む話かもしれません。でもそれが5つ、10と重なっていくと、あなたの頭の中は常に「親のこと」でいっぱいになる。仕事中にふと考える。夜中に目が覚める。友達との会話も上の空になる。
それでも「介護」とは呼べない。呼べないから、相談する場所がわからない。地域包括支援センターに電話するほどなのか。ケアマネジャーに会うほどなのか。その判断すら、自分ではできない。
怒りと罪悪感が同居するということ
書きながら思ったんですが、この問題が厄介なのは、感情が一方向じゃないことです。
親が心配。それは本当です。でも同時に、苛立ちもある。「なんで同じことを何度も聞くの」「なんで片づけられないの」「なんで私がやらなきゃいけないの」。そう思った直後に、罪悪感が来る。「こんなことを思う自分はひどい人間だ」と。
また同じ話。また同じ質問。さっき言ったじゃない。でもそれを口にしたら終わりだ。優しくしなきゃ。笑わなきゃ。私がしっかりしなきゃ。
心配と苛立ちと罪悪感。この3つが交互に押し寄せて、結局どの感情もちゃんと感じられないまま、ただ疲れていく。家に帰ってソファに倒れ込んで、涙が出るわけでもなく、怒りがあるわけでもなく、ただ空っぽになっている。そんな夜が増えていないでしょうか。
ここは正直に書きます。当店にも、こうした「親のこと」で相談に来る方がいます。その方たちの多くが、最初に口にするのは親の症状や困りごとではなく、「こんなことを思ってしまう自分が嫌で」という言葉です。
つまり、親の問題の前に、自分の感情の問題がある。でも自分の感情の問題は、親の問題が解決しないと片づかない。完全にループしている。
「自分のことは後回し」の構造に気づいたとき
朝起きる。まず親のことを考える。薬は飲んだか。ガスの元栓は大丈夫か。今日はデイサービスの日だったか。買い物は頼まれていないか。
それを確認してから、自分の一日が始まる。でも、始まる頃にはもうエネルギーの半分が使われている。
仕事に行く。帰ってくる。夕飯を作る。親に電話する。あるいは親と同居していれば、帰った瞬間から「もう一つの仕事」が始まる。自分の時間は、残りのカスみたいなものになっている。
美容院に行きたい。友達と会いたい。ゆっくり本を読みたい。映画を観に行きたい。でも、そのために半日空けることに罪悪感がある。「その間に何かあったら」と思うと、結局出かけられない。休日なのに休めない。休んでいるはずなのに、頭の中はずっと親の家の間取りを巡っている。
いつの間にか、自分がどうしたいのかすらわからなくなっている。「自分のために何かする」こと自体が、贅沢なことのように思えてくる。
これは、気持ちの問題じゃなくて、生活の構造の問題です。
「もっと自分の時間を大切にしなよ」と言われても困る。構造が変わらない限り、時間は生まれない。「気分転換しなよ」と言われても、気分転換するための余白がそもそもない。
こういうとき、必要なのは励ましじゃなくて、今の生活の構造を一緒に見てくれる人です。何に時間を取られているのか。どこに無理が生じているのか。どの部分なら手を離せるのか。感情じゃなくて、行動と環境の問題として見る。
当店に在籍している作業療法士のフレンドは、まさにその「生活の構造を見る」ことを仕事にしている人です。病院では、認知症の方やそのご家族の生活を整えることに日常的に向き合っています。
暮らしの中の「できなくなったこと」を「どういう条件ならできるか」に変換する。「やさしい人」が欲しかったんじゃない。「現実に動ける人」が必要だったという記事で詳しく書いていますが、当店のフレンドが「話し相手」以上の役割を果たせる理由は、こうした専門的な視点にあります。
誰にも言えない「本音」のこと
少しだけ逸れます。
以前、ある方がこうおっしゃっていました。「親のことを相談したいんじゃなくて、親のことで自分がどれだけ疲れてるかを、誰かにわかってほしかった」と。
これはとても正直な言葉だと思います。
介護の相談窓口に行くと、「お母様の状態は」「要介護度は」「利用できるサービスは」という話になる。それはもちろん大事です。
でも、あなたが本当に聞いてほしいのは、「もう限界かもしれない」「でも限界って言っちゃいけない気がする」「親を嫌いになりそうで怖い」という、自分の内側の話かもしれない。
友達に話せばいいじゃないか、と思うかもしれません。でも、家族の話は重い。聞く側にも負担がかかる。相手が「うちも親が最近さ」と返してくれても、比較になるわけじゃない。
「大変だね」と言ってもらえても、その先がない。翌日も牛乳は3本のままだし、父は同じ話を繰り返す。
兄弟姉妹がいる場合は、そちらに相談できるかもしれません。でも、実際には「近くに住んでいるあなたがやって」「女だからお母さんのことはよろしく」と、なんとなく役割が固定されていることも多い。その不公平さへの怒りも、なかなか口に出せない。
かといってカウンセリングに行くと、今度は自分が「患者」になる感じがして、それも違う。
医療相談でも愚痴聞きでもない場所。感情を吐き出しつつ、でもそこで終わらずに「じゃあ、今の生活のどこから手をつけるか」を一緒に考えてくれる場所。それが見つからなくて、ずっとひとりで抱えている人がいます。
生活の「ごちゃまぜ」をほどく、という発想
親のこと。家のこと。自分のこと。全部ごちゃまぜになっている。そのごちゃまぜ自体がストレスなのに、「まず全部整理してから動こう」と思ってしまう。整理する気力がないから動けない。動けないからますますごちゃまぜになる。
「大変ですよね」。
わかっている。でも「大変だね」で終わってしまうなら、それは話し相手であってもあまり意味がない。
必要なのは、ごちゃまぜの中から「今日ほどけるもの」をひとつだけ見つけることです。全部を解決する必要はない。全部を整理する必要もない。ただ、「ここだけは」という一点を見つけて、そこから少しだけ動く。
たとえば、「親の薬の管理が不安」なら、薬カレンダーの配置を変えるだけで状況が変わるかもしれない。「冷蔵庫の中身が重複する」なら、ホワイトボードを一枚貼るだけでいいのかもしれない。
「自分の休みが取れない」なら、週に1回だけ「この2時間は親のことを考えない」と決めることから始められるかもしれない。
あるいは、親の家の動線を少し変えるだけで、転倒のリスクが減ることもある。夜中にトイレに行く途中の廊下に、足元灯をひとつ置くだけのことが、あなたの「夜中に電話が鳴るかもしれない」という不安をひとつ減らす。
こういう話は、気合いや根性からは出てきません。「感情」ではなく「環境と行動」を見る視点から出てくるものです。
作業療法士という職業は、認知症の方への支援や在宅生活の環境調整を専門領域のひとつとしています。つまり、「暮らしの中のどこで詰まっているか」を見つけて、仕組みで解決する方法を考える仕事です。当店にはその視点を持ったフレンド、ひなたが在籍しています。
誤解しないでいただきたいのは、当店は医療機関ではないということです。ひなたがサービスの中で診断をしたり、リハビリを提供したりすることはありません。
でも、「生活の詰まりを見る目」を持っている人と一緒に、今の状況を整理してみる。それだけで、何かが少し動き出すことがあります。
「相談する」のハードルが高い人へ
ここまで読んでくださった方の中には、「でも、こんなことで人にお金を払って相談するのはどうなんだろう」と感じている方がいるかもしれません。
- 「介護って言えるほどじゃないのに」
- 「もっと大変な人がいるのに」
- 「自分の弱さを人に見せるのが嫌だ」
その気持ちは、当然のものです。否定しません。
ただ、ひとつだけ言えるのは、「完璧に困ってから助けを求める」必要はないということです。まだ名前がつかない段階。まだ制度に乗らない段階。そこで誰かと話をすることに、後ろめたさを感じなくていい。
当店は、「レンタルフレンド」というサービスです。友達を借りる、と聞くと少し奇妙に聞こえるかもしれません。でも実態は、あなたが今抱えている「ごちゃまぜ」を、一緒に見てくれる人がいる、ということです。
解決策を押しつけるのでもなく、ただ聞くだけで終わるのでもなく、「あなたの生活の中で、今何が起きているか」を一緒に見る。
もし少しでも気になったなら、頼っていいのか、まだわからない。でも、一人で抱えるのは限界だったという記事も読んでみてください。「こんなことで」と思う気持ちに、もう少し踏み込んで書いています。
このシリーズの最初の記事、「動けない日が続いている」と気づいたとき、私が最初にしたことでは、生活が止まっている感覚全体について書きました。親のことに限らず、「何かがうまく回っていない」と感じている方は、そちらも読んでみてください。
次の記事では、「やさしい人」と「生活を動かせる人」の違いについて、もう少し具体的に書いています。


