「飲み会に6,000円払うなら、一人でおいしいものを食べたほうがいい」
先日、ネットニュースでそんな声を見かけて、少し手が止まった。
その感覚、わかる。わかるんだけど、なんだか胸のあたりがざわつく。
レンタルフレンドという仕事をしている自分にとって、この話は他人事じゃないからだと思う。
「フレンドフレーション」という言葉

最近、日経新聞などで「フレンドフレーション(Friendflation)」という言葉が取り上げられている。
Friend(友人)とInflation(インフレ)を組み合わせた造語で、もともとは欧米で広まった概念だ。
意味はシンプルで、物価が上がり続ける中で、友人との付き合いにかかるお金を「投資」として捉え直す人が増えている、という現象を指す。
飲み会1回で6,000円。二次会まで行けば1万円近い。それが月に2回、3回と重なれば、かなりの固定費になる。だから、その出費に見合うだけの関係が深まるかどうかを見極めて、参加を絞り込む。
つまり、友達と過ごす時間にも「投資対効果」を求めるようになった、ということらしい。
友情が薄くなったわけではない。友情を維持するコストが上がったのだ。そういう説明を読んで、たしかにそうだなと思った。
「コスパ」という言葉が人間関係に入り込んできた違和感

ただ、私はこの現象を聞いたとき、少しだけ複雑な気持ちになった。
たぶん、理屈としては正しい。限られたお金と時間をどこに使うか。それを計画的に考えることは、賢い選択だろう。初任給が上がったとはいえ、外食費も交通費も以前より確実に高くなっている。手元に残る自由なお金は、数字ほどには増えていない。だから、惰性で続けていた付き合いを見直す。それ自体は合理的だし、ある意味で健全な変化なのだろう。
でも「人間関係のROI(投資対効果)」という言葉を見たとき、うまく言えないけれど、どこかで引っかかるものがあった。
この仕事をしていると、お金を払ってでも「ただ誰かと話したい」という方に出会う。その方たちの気持ちは、ROIなんかでは測れない。測ろうとした瞬間に、こぼれ落ちてしまうものがある。
内向的な人にとっての「交際費」の重さ

フレンドフレーションの話題では、大人数の飲み会や食事会をどう取捨選択するか、という文脈で語られることが多い。
誰と飲みに行くか。どの誘いを断るか。この集まりに参加する価値はあるか。そうやって人付き合いを「選択と集中」していくのがフレンドフレーション的な考え方だという。
でも、ふたりしずかにの利用を考えてくれるような方にとっては、そもそもの前提が違う。
取捨選択する以前に、誘われること自体が少ない。 参加を絞り込むのではなく、参加する場所がない。
グループLINEで「今度の週末どう?」と誰かが投げかけたとき、自分だけ返信のタイミングを逃して、結局そのまま既読スルーになる。そういう経験を何度も重ねてきた方が、うちのサイトを見つけてくれることがある。
そういう方にとっての「交際費」は、飲み会の費用を抑えるとか、コスパのいい集まりだけに参加するとか、そういう話ではないのだと思う。
「0円の交際費」が意味するもの

ある方がこんなことを言っていた。
「交際費が0円なんです。節約してるんじゃなくて、使う相手がいないんです」
この言葉を聞いたとき、私は少し黙ってしまった。
フレンドフレーションが問題にしているのは「友達付き合いにお金がかかりすぎる」ということだ。でも、その裏側には「友達付き合いにお金を使いたくても使えない人」がいる。交際費が高すぎるのではなく、交際費を使える関係性そのものがない。
世の中的にはフレンドフレーションが新しいトレンドワードとして注目されている。でも、この話題がSNSで流れてきたとき、「私にはそもそも削る友達がいない」と感じている人がどれだけいるだろう。たぶん、声には出さない。出せない。だからこの痛みは見えにくい。
この二つの孤独は種類が違う。でも、根っこのところでは繋がっているような気もする。どちらも「人と過ごす時間にはコストがかかる」という事実に直面している。ただ、その痛みの出方が違うだけだ。
コスパで測れない時間のこと

ちょっと話がそれるかもしれないけれど、先日フレンドさんの一人と運営のことで話をしていたとき、こんなことを言われた。
「60分の中で、お客様が本当に言いたかったことって、最後の5分くらいに出てくることが多いんです」
最初の55分は、天気の話とか、最近見たドラマの話とか、当たり障りのないやりとり。沈黙もある。何を話していいかわからなくて、目を伏せている時間もある。でもその55分があるから、最後の5分で「実は」と口を開ける。
これをコスパで考えたら、効率は悪い。55分の助走に対して5分のアウトプット。ROIで言えば壊滅的だろう。でも、その5分のためにこの仕事があるのだと、私は思っている。
フレンドフレーション時代に「選ばれる」とは

フレンドフレーションの流れの中で、人と過ごす時間には「目的」や「理由」が求められるようになったと言われている。
なんとなく集まる場は選ばれにくくなった。何が得られるのかが明確でないと、人はお金も時間も使わなくなった。学びがあるか。特別な体験ができるか。深い関係が築けるか。そういった「参加する理由」が必要になったのだという。
それはたぶん、うちのようなサービスにも当てはまる。
レンタルフレンドに6,000円を払う。その6,000円で何が得られるのか。話を聞いてもらえる。一人じゃない時間を過ごせる。でも、それって目に見える「成果」ではない。
資格が取れるわけでもない。人脈が広がるわけでもない。ビジネスに役立つ情報が手に入るわけでもない。インスタに映える写真が撮れるかといえば、カフェでコーヒーを飲みながら話しているだけの写真に「いいね」はつかないだろう。
だから正直に言えば、フレンドフレーション的な価値観と、レンタルフレンドというサービスは相性が悪いのかもしれない。
それでも、と思う理由

それでも、この仕事を続けていて感じることがある。
「久しぶりに声を出して笑いました」と言ってくれた方がいた。 「週末が怖くなくなりました」というメッセージをもらったこともある。
これは費用対効果の話なのだろうか。
たぶん、違う。
人と過ごす時間の価値は、そこから何を「得られるか」だけでは決まらない。何から「解放されるか」で決まることもある。ずっと一人で抱えていた重さから、ほんの少しだけ解放される。それだけのことなのに、帰り道の足取りが軽くなる。
フレンドフレーションという考え方が広がることで、惰性の付き合いが減り、本当に大切な関係に集中する人が増えるなら、それ自体は健全な変化だと思う。人付き合いの「量」から「質」へ。回数より密度。惰性より納得感。その方向性は、うちのサービスが大切にしていることとも重なる部分がある。
ただ、その流れの中で、「効率が悪いから」「コスパが合わないから」という理由で切り捨てられるものがある。そして、もともと切り捨てるものすら持っていない人がいる。
私はそちら側のことを、もう少し考えていたい。
答えは出ていない。たぶん、しばらく出ない。
でもこの仕事をしている限り、「人と過ごす時間に値段をつける」ということの意味を、考え続けることになるのだと思う。

