カフェの席で、不意に涙を流した方がいた。声は出ていなかった。
フレンドはただそばにいた。泣きたいのに泣けない。泣く場所が思いつかない。
そんな日常を過ごす方が、ここで初めて涙を見せたとき、運営者が何を感じたのか。感情の行き場について、正直に書いた一篇。
その方は、コーヒーカップに目を落としたまま止まっていた
カフェの窓際の席だった。向かい側にフレンドが座っていて、その方はコーヒーカップを両手で包むように持っていた。ゆっくり話していたのだと、フレンドから後で聞いた。
仕事の話から始まって、最近眠れないこと、実家の母のことへと話が移っていったらしい。
そして、ふと言葉が途切れた。
フレンドは何も言わなかったそうだ。ただ待っていた。店内にはピアノのインストが流れていて、隣のテーブルでは大学生らしいグループが笑っていた。その中で、その方の肩が小さく震え始めた。
泣いていた。声は出ていなかったそうだ。ただ、涙がカップの縁をつたって、テーブルに落ちた。
フレンドが送ってきた報告を読んで、手が止まった
その日の夜、フレンドからの利用報告メッセージを読んでいた。淡々と書かれた文面だった。「途中で涙を流されていましたが、落ち着かれた後は穏やかに話をされていました」。それだけだった。
でも、私はその一文の前でしばらく画面を見つめていた。
この仕事をしていると、こういう場面に出会うことがある。利用中に涙を流す方は、たぶんあなたが思うよりも多い。
最初から泣くつもりで来る方はほとんどいない。話しているうちに、自分でも思いがけず涙が出てくる。そういう方がいる。
以前にも、帰り道に泣いたとメッセージをくれた方がいた。
あの時も、私はうまく言葉にできなかった。
泣くことが「許されている」と感じられる場所が、この社会にどれだけあるだろう。
泣ける場所が、思いつかない
ちょっと考えてみてほしい。あなたが今、急に泣きたくなったとして、どこに行くだろう。
自宅の部屋。一人暮らしなら、それができるかもしれない。
でもそれが毎晩続くと、部屋にいること自体がしんどくなる。家族と住んでいれば、泣いている姿を見せたくないと思う方もいる。
トイレの個室。職場のお昼休みに、こっそり泣いたことがあるという話を聞いたことがある。
カウンセリングルーム。そこはそのための場所だと思う。
でも
- 「カウンセリングに行くほどじゃない」
- 「予約を取るのが億劫」
- 「行ったら自分が病気みたいで怖い」
そう感じる方が少なくないのも知っている。
友達の前では泣けない、という声もよく聞く。心配をかけたくない。
重いと思われたくない。
「大丈夫?」と聞かれたら「大丈夫」と言ってしまう。
泣きたいのに泣けない。泣く場所がない。
これは私の感覚だけど、感情を抑え込んでいる方は、自分が泣きたいことにすら気づいていないことがある。話しているうちに涙が出て、自分が一番驚いている。
「すみません、なんで泣いてるんだろう」と言いながら目をこする。フレンドからの報告に、そういう場面がときどき出てくる。
「すみません」と言わなくていいのに
泣いた方がほぼ全員、最初に言う言葉が「すみません」なのだと、あるフレンドが教えてくれた。
それを聞いたとき、胸が詰まった。泣いただけで謝るのか、と。でも、その気持ちもわかる。人前で泣くことに慣れている人なんて、そうはいない。
ましてレンタルフレンドという、お金を払って時間を買っている場で泣いてしまったら、「こんなはずじゃなかった」と思うのかもしれない。
うちのフレンドには、泣いている方を止めないでほしいと伝えている。落ち着くまで、ただそばにいてほしいと。ティッシュをそっと差し出すくらいでいい。
「大丈夫ですよ」も、「泣いていいですよ」も、言わなくていい。ただ、その時間が流れるのを一緒に過ごしてほしい。
ある方が、泣いた後にこう言ってくれたそうだ。「こんなに泣いたの、何年ぶりかわかりません」。
私も、まだよくわかっていない
正直に書く。泣いている方の報告を読むとき、私はいつも少し複雑な気持ちになる。
その方が泣けたことは、よかったと思う。ずっと抑えていたものが出てきたのなら、それは体が求めていたことなのだろう。でも同時に、「泣くしかなかった」状況を想像すると、何とも言えない気持ちになる。
この方には、もっと日常的に気持ちを出せる場所があったほうがいい。「ふたりしずかに」がその場所であり続けることは、嬉しいけれど、それだけで十分だとは思わない。
たぶん、正解はないんだと思う。
ふと、関係のないことを思い出した。子どもの頃、映画館で泣いたことがある。暗い中でなら泣いてもいいと思った。スクリーンの光がぼやけて、でもそれが妙に心地よくて。
あれは泣くことが許されている時間だったんだなと、今になって思う。
この仕事で私が提供しているのは、たぶんそういう「時間」なのかもしれない。
暗い映画館のように、泣いても誰にも見られない、誰にも咎められない、でも一人じゃない時間。うまく言えないけど。
涙を流した方が、帰り際に「少しだけ楽になりました」と言ってくれることがある。
少しだけ。その「少しだけ」の中に、私はこの仕事の意味を見つけている。
そして最近、何度か利用してくださるうちに、少しずつ変わっていく方の姿を見ることが増えてきた。

