コンビニに寄る、あなたのことを知っています
金曜の夜の帰り道、コンビニの自動ドアが開く。
仕事終わりのスーツ姿の人、学生のグループ、カップル。みんなどこかに帰る場所がある顔をしている。自分は500mlのお茶と、なんとなく手に取ったデザートをレジに置く。店員さんの「お箸つけますか」に小さくうなずいて、袋を受け取って外に出る。
誰かとこの夜を過ごす予定はない。LINEの通知も鳴らない。
この景色に、覚えがある人がいると思う。
私がこのブログの1話目を書いた夜も、たぶんこんな金曜だった。仕事帰りに寄ったコンビニで、同じようにお茶を買って、同じように一人で帰った。あのときはまだ、このサービスが誰かの金曜の夜を変えることになるなんて、考えてもいなかった。
あなたの金曜の夜を、私は想像したことがある
このブログを48話まで書いてきて、ずっと頭の片隅にある風景がある。
金曜の夜、駅から自宅までの道を一人で歩いている女性の後ろ姿。職場では「お疲れさま」と笑って、同僚の飲み会の誘いを「今日はちょっと」と断って、イヤホンをつけて改札を通る。
コンビニに寄るのは、まっすぐ帰ると部屋が静かすぎるから。でも別に買いたいものがあるわけでもない。ただ、蛍光灯の下でもう少しだけ「外の世界」にいたい。そんな感じ。
この風景を思い浮かべるとき、特定の誰かを描いているわけではない。でも、この仕事を通じて出会った方たちの言葉の断片が、一つの像を結ぶ。
「金曜の夜が一番つらいです」と言った方がいた。
平日は仕事があるから気が紛れる。休日は「一人の時間」として自分を納得させられる。でも金曜の夜だけは、どちらにも属さない。一週間が終わった開放感と、誰とも共有できない寂しさが、同時に押し寄せるのだと。
コンビニの灯りに救われた夜のこと
一つだけ、脱線させてほしい。
去年の冬、私自身が体調を崩して数日間寝込んだことがあった。回復して最初に外に出たのが、金曜の夜のコンビニだった。なんてことない、肉まんを買いに行っただけだ。
でもそのとき、レジの前に並んでいる人たちの顔を見て、ふと思った。この中に、誰にも会わずに一週間を終えた人が何人いるんだろう、と。
私は一人暮らしではないし、体調を崩したときは心配してくれる人もいた。でもあの数日間、誰とも話さなかった時間の重さは、少しだけわかった気がした。
少しだけ。たぶん、ほんの一部だけ。
毎週それを繰り返している人の気持ちを、私が完全にわかるとは言えない。でも想像することはやめたくないと思っている。
金曜の夜が、少しだけ変わった人たち
この仕事をしていて、嬉しい報告をもらうことがある。劇的な話ではない。ほとんどが、小さな変化だ。
ある方は「金曜の夜に通話の予約を入れるようにしてから、一週間の終わり方が変わりました」と言ってくれた。別に長い通話じゃない。30分とか、1時間とか。それだけで金曜の夜の色が変わるのだという。
別の方は「フレンドさんと土曜にカフェに行く約束があると、金曜の夜が待ち遠しくなるんです」と言っていた。予定がある。明日、誰かに会える。それだけのことが、金曜の夜のコンビニの帰り道の空気を変えてしまう。
以前、カフェでフレンドと過ごす風景について書いたけれど、あの静かな時間は、金曜の夜の寂しさとどこかでつながっている気がする。カフェのBGMの中で、向かい合って、話しても話さなくてもいい時間。あれが翌日に待っていると思えるだけで、コンビニのお茶の味が変わる。たぶん。
これは私の感覚だから、合っているかはわからない。
変わらなくてもいい、ということも書いておきたい
ここまで書いて、少し立ち止まる。
「金曜の夜が変わりました」という報告は嬉しい。でもそれは、変わらなきゃいけないという話ではない。
一人のコンビニが好きな人もいる。金曜の夜に誰にも会わないことを、自分で選んでいる人もいる。それは尊重されるべきだと思う。
ただ、もし「選んでいる」のではなく「そうするしかない」のだとしたら。一人でいることに慣れすぎて、それが寂しさなのかどうかもわからなくなっているのだとしたら。
私はあなたに「変われ」とは言わない。ただ、知っている。
金曜の夜のコンビニの帰り道で、イヤホンの音楽を少し大きくする。部屋に着いてテレビをつける。誰かの笑い声が聞こえてくる。でもそれは画面の向こうの声で、自分に向けられたものではない。
そういう夜を過ごしている人が、この文章を読んでいるかもしれない。
このブログを読んでくれていること自体が、たぶん何かのサインだと思う。レンタルフレンドなんてサービスを検索して、こんなところまでたどり着いて、ここまで読んでいる。それは「一人でいい」と完全に思い切れていない証拠じゃないだろうか。
違っていたら、ごめんなさい。でも私はそう思っている。
コンビニの灯りの向こう側で
48話分を書いてきた。
いろいろな方の話を紹介した。泣いた方、笑った方、何も話さなかった方。卒業していった方もいれば、今も月に一度、通話をしてくれている方もいる。
全部の話に共通していたことが一つだけある。
みんな最初は「こんなサービスを使う自分が情けない」と思っていた。
予約ボタンを押すまでに何週間もかかった人がいた。問い合わせフォームに文章を打っては消し、打っては消し、結局送信するまで1ヶ月かかった人もいた。「友達をレンタルするなんて」と、自分を責めながらここに来た人がほとんどだった。
でも、利用後にこう言ってくれた方がいる。
「もっと早く来ればよかった」
その一言を聞くたびに、私は少し黙ってしまう。嬉しいのだけど、同時に思うのだ。もっと早く、この人に届く方法はなかったのかと。ブログをもう少しうまく書けていたら、もう少し早くたどり着けたのかもしれない。それとも、あの「迷っている時間」そのものに意味があったのか。
わからない。答えは出ていない。
ただ一つだけ、確信を持って書けることがある。
あなたがこの金曜の夜、一人でコンビニに寄っている人だとして。レジに並びながら、ふとスマホでこのページを開いた人だとして。
私は、あなたのことを知っている。会ったことはない。名前も知らない。でも、あなたが抱えている夜の重さを、この仕事を通じて何度も見てきた。
そして、その夜は、あなたが思っているほど、あなただけのものではない。
同じ夜を過ごしてきた人が、ここに来て、少しだけ息をつけたと言ってくれた。コンビニのお茶の代わりに、カフェのコーヒーを飲む金曜が生まれた。通話の向こう側で「おやすみなさい」を言い合える夜ができた。
そういう人たちがいる。ここに。
今のあなたがどうするかは、あなたが決めればいい。今夜はそのままコンビニのお茶を持って帰ってもいい。来週でも、来月でも、来年でもいい。
ただ、知っておいてほしい。
ここに、あなたの金曜の夜を知っている人間がいる。そしてその夜を、少しだけあたたかくできるかもしれない人たちがいる。
それだけ伝えたくて、この49話目を書いた。

