平日のカフェで、フレンドはただ「うん」と言い続けていた。
アドバイスもなく、励ましもなく、ただうなずくだけ。
それなのに1時間後、お客様の表情は少しだけ変わっていた。
運営者が見たレンタルフレンドの「聞く」という仕事の、静かな風景を書きます。
その日、カフェにはジャズが流れていた
平日の午後、駅から少し歩いたところにあるカフェだった。
窓際の席に、お客様とフレンドが向かい合って座っていた。私はたまたまその日、フレンドの研修同行で近くにいて、少し離れた席から二人の様子を見ていた。
フレンドは、ただうなずいていた。
お客様が話す。フレンドが「うん」と言う。また少し話す。「うん」。それだけの繰り返しが、たぶん20分くらい続いたと思う。
私はそのとき、正直に言うと少し不安だった。もっと何か言葉を返したほうがいいんじゃないか。相づちだけで、お客様は満足しているんだろうか。そんなことを考えていた。
でも、お客様の表情が、少しずつ変わっていくのが見えた。
最初はうつむきがちで、声も小さかった。テーブルの上のカップを両手で包むように持っていて、ときどきその手が震えているようにも見えた。
それが、10分、15分と経つうちに、背筋がほんの少しだけ伸びてきた。声に、ほんのわずかだけど芯が通ってきた。
フレンドは何も変えていない。ただ「うん」と言い続けていただけだ。
「聞いている」と「待っている」の違い
あとでそのフレンドに、あのとき何を意識していたのか聞いた。
返ってきた言葉が、私の中にずっと残っている。
「聞いていたというより、待っていたんだと思います」
聞くのと、待つのは違う。聞くという行為には、どこかに「理解しよう」「返そう」という意識が伴う。
でも待つというのは、もっと受け身だ。相手が言葉を選ぶ時間も、言葉にならない沈黙も、全部ひっくるめてそこにいること。
うまく言えないけど、私はその話を聞いて少し胸が詰まった。
以前、「ただ聞いてほしかっただけなんです」と言ってくれた方のことを書いた。あのときも感じたことだけど、「聞く」という行為の中にも、いくつもの層がある。そしてフレンドたちは、その層の深いところで仕事をしている。
私にはできない。たぶん、私だったら何か言ってしまう。「わかります」とか「大変でしたね」とか。でもあのフレンドは、そういう言葉を挟まなかった。お客様が自分のペースで話し終えるのを、ただ待っていた。
カフェのBGMだけが流れていた時間
あの日のことを思い出すと、不思議と店内のジャズの音が先に浮かぶ。ピアノのバラードだった気がする。曲名はわからない。
二人の間に沈黙が訪れる場面が何度かあった。お客様が話を止めて、カップに口をつける。
フレンドも同じようにカップを持ち上げる。二人とも何も言わない。
でも、その沈黙が苦しそうには見えなかった。
ふと思い出したことがある。全然関係ない話だけど、私は昔、友人と電話しているときに沈黙が怖くて、ずっと何かを喋り続けるタイプだった。
相手が黙ると「怒ってる?」と聞いてしまうような人間だった。それは今でもあまり変わっていない。
だから余計に、あのフレンドの姿が印象に残ったのかもしれない。沈黙を恐れない人がいるということ。沈黙の中にいても、ちゃんとそこにいられる人がいるということ。
その方が帰り際に言ったこと
1時間のセッションが終わって、お客様が席を立った。
フレンドと並んでレジに向かう姿を、私は少し離れたところから見ていた。お客様がフレンドに何か言って、フレンドが小さく笑った。
あとで聞いたら、こう言ってくれたらしい。
「こんなに黙ってもらえたの、初めてです」
黙ってもらえた。その言い方が、私にはとても印象的だった。
普段の人間関係では、黙ることは否定的に捉えられがちだと思う。
- 「何か言ってよ」
- 「聞いてる?」
沈黙は気まずさの証拠で、埋めるべきもので、耐えるものだと。
でもその方にとっては、「黙ってもらえた」ことが嬉しかったのだ。
たぶんその方は、日常の中で「聞いてもらう」経験はあるのだと思う。
友人や家族に話を聞いてもらう。でもそのとき、相手は何かを返してくる。
アドバイスだったり、自分の話だったり、「わかるよ」という共感だったり。それが悪いわけじゃない。
でも、ときにはそれすらも重いと感じる日がある。
何も返されない時間がほしい日が、ある。
これは私の推測であって、その方が本当にそう思っていたかはわからない。
わからないけど、「黙ってもらえた」という言葉の中に、そういう何かを感じた。
この仕事で見えてきた風景
「ふたりしずかに」という名前をつけたとき、私はこういう風景を想像していたんだろうか。正直、そこまで具体的には考えていなかった。
でも、あの日カフェで見た光景は、たぶんこのサービスの一番真ん中にあるものだと思う。
特別なことは何も起きていない。カウンセリングのような専門的な介入もない。
ただ二人の人間がテーブルを挟んで座っていて、片方が話して、片方がうなずいていた。それだけだ。
それだけなのに、1時間後にお客様の顔が少し軽くなっていた。
この体験のあと、少しずつ変化が生まれていった方の話はまた別の機会に書こうと思う。
あの日のあの方がどうなったかは、ここでは書かない。書けない、というのが正確かもしれない。まだ途中の話だから。
ただ、あの日私が見たのは、「聞くこと」が仕事になりうるのだという事実だった。
そしてそれは、思っていたよりもずっと難しくて、ずっと静かで、ずっと地味な仕事だった。
フレンドの横顔を、私はときどき思い出す。あの「うん」の声のトーンを。
BGMのジャズの音を。カップを両手で包んでいたお客様の指先を。
そういう場面が、この仕事の中にはある。

