「向かい合って座ると、うまく話せなくなるので」
予約の備考欄にそう書いた方がいた。選んだのは、カフェでもなく通話でもなく、散歩。
横に並んで歩くだけで、言葉の出方が変わることがある。
ある方との散歩を通じて運営者が感じたこと。
真正面じゃなくていい
予約のメッセージに、こう書いてあった。
「散歩しながらでいいですか?」
カフェでもファミレスでもなく、散歩。
しかも「いいですか?」と遠慮がちに聞いてくる。
私はその一文を読んで、少し立ち止まった。
その方は20代後半の女性で、利用は初めてだった。
予約の備考欄にはもうひとつ、短い一文が添えてあった。
「向かい合って座ると、うまく話せなくなるので」
ああ、と思った。
人と会うこと自体が嫌なわけじゃない。でも、面と向かって目を見て話すのがつらい。そういう方は、これまでにも何人かいた。
以前、「会いたいけど、会うと疲れる」という矛盾について書いたことがあるけれど、まさにそういうことだと思う。
会いたい気持ちと、会ったときの消耗が、同時に存在する。
それは矛盾じゃなくて、たぶん、その人の中ではちゃんとつながっている。
フレンドには「散歩でお願いします」と伝えた。
待ち合わせは、都内のある公園の入り口。平日の昼間だった。
横に並んで歩くと、言葉が変わる
当日のことを、担当したフレンドが報告してくれた。
最初の10分くらいは、ほとんど会話がなかったらしい。
お互いに歩くペースを探りながら、木漏れ日の中をただ歩いていた。
風が吹くと木の葉がさらさら鳴って、ジョギングしている人が横を通り過ぎていく。そういう音だけが間を埋めていたという。
フレンドは急かさなかった。「いい天気ですね」とか、そういう当たり障りのない話もしなかった。
ただ、同じ速さで歩いた。
しばらくして、その方がぽつりと話し始めたそうだ。
職場のこと。うまくいかない人間関係のこと。話しながら、ときどき前を見て、ときどき足元を見ていたらしい。フレンドもまっすぐ前を見ていた。
これを聞いて、私はなるほどなと思った。
向かい合うと「聞かれている」感覚になる。でも横に並んで歩いていると、「一緒に同じ方向を見ている」感覚になるのだと思う。
言葉の出どころが変わるというか、話す相手に向けて言葉を投げるんじゃなくて、目の前の景色に向かって独り言のようにこぼす。
それを隣にいる人がたまたま聞いている。そういう距離感。
うまく言えないけど、散歩には、会話のハードルを下げる力がある。
池のほとりで足が止まったとき
歩き始めて30分ほどで、園内の池が見えてきた。
ベンチがいくつかあって、鳩が足元をうろうろしている。よくある風景だ。
その方が「ちょっと座りたいです」と言った。
フレンドが隣に座ると、少し間があって、急に笑い出したという。
「なんか、友達と歩いてるみたいですね」
フレンドは「そうですね」とだけ返した。
私はこの報告を読んで、少し胸が詰まった。
「友達と歩いてるみたい」という言葉の裏に何があるか、推測で語るのは控えたい。
ただ、この仕事をしていると、そういう何気ない一言がずっと頭に残ることがある。
そのあとは、池を見ながらぽつぽつと話が続いたらしい。
途中で話が止まっても、鳩を眺めたり、水面に映る雲を見たりして、沈黙が苦しくならなかった、とフレンドは言っていた。
ふと思い出したけれど、私自身も誰かと深い話をするとき、並んで座っているほうが楽だ。横並びの居酒屋カウンターで、友人にぽろっと本音を漏らしたことがある。
あれは、目が合わないからこそ言えた言葉だった気がする。
散歩や横並びの席が持つ効果は、たぶん内向的かどうかに関係なく、多くの人にとって自然なものだと思う。
でも、「散歩でお願いしたい」とわざわざ伝えるには勇気がいる。
変な頼み方だと思われないか、面倒だと思われないか。そう考えてしまう方は多い。
だから私はあのとき、「散歩しながらでいいですか?」という遠慮がちな一文を見て、この方のことをちゃんと受け止めたいと思ったのだと思う。
歩くことで開く、もうひとつの対話のかたち
散歩を選んだ方は、その後もう一度利用してくれた。二度目もやっぱり散歩だった。
フレンドの報告によると、二度目は最初から言葉が出ていたそうだ。
つまりリピートしてくれたのだ。
一度目よりも歩くペースが速くて、話すテンポも少し上がっていたという。
「前回よりリラックスしていたように見えました」とフレンドは書いていた。
断定はしていない。「見えました」という言い方が、うちのフレンドらしいなと思った。
散歩という選択肢があることで、「対面は無理だけど、歩きながらなら」という方が来てくれることがある。カフェや飲食店だけがレンタルフレンドの場所ではない。
公園の遊歩道でも、川沿いの道でも、買い物がてらの商店街でもいい。
歩きながらなら話せる、という人は意外と多いのだと、この仕事を通じて知った。
散歩の途中、ふいに相手が黙ったとしても、それは気まずさじゃなくて、言葉を探しているだけかもしれない。
歩いていれば、沈黙にも足音がついてくる。その足音が、二人の間をつないでくれる。
これは私の感覚だけど、「話す」ことと「一緒にいる」ことは、似ているようで少し違う。
散歩は、そのどちらもをゆるやかに含んでいるから、内向的な方にとっての入り口になりやすいのかもしれない。
たぶん、答えはまだ出ていない。ただ、あの「散歩しながらでいいですか?」というメッセージを読み返すたびに、この仕事をやっていてよかった、と思う。
遠慮がちな一言に応えられる場所でいたい。それだけは、はっきりしている。
散歩だけじゃなく、推し活やイベントの同行を頼まれることもある。場所や過ごし方のかたちは、本当に人それぞれだ。

