「休みの日が来るのが怖い」
ある利用者の方がそう言った。予定のない土曜日が、自分の孤立を突きつけてくる感覚。
でもその方は、月に一度の通話を続けるうちに、少しずつ一人の時間との向き合い方が変わっていった。
一人の時間の「質」が変わる瞬間について、運営者が見てきたことを綴ります。
「休みの日が怖い」と言った方のこと
ある方からのメッセージに、少し手が止まった。
「休みの日が来るのが怖いんです」
最初、意味がわからなかった。仕事が忙しすぎて休めない、という話かと思った。でも違った。その方が怖かったのは、一人で過ごす休日そのものだった。
何も予定がない土曜日の朝。目が覚めて、スマホを見て、誰からも連絡が来ていない。SNSを開くと、友人たちが誰かと出かけている写真が流れてくる。自分だけが取り残されているような気がして、布団から出られなくなる。
その方は「こんなことで悩んでるのが恥ずかしい」とも言っていた。一人の時間が怖いなんて、大人として情けないと。
私はその気持ちを否定できなかった。否定する気もなかった。ただ、聞きながら思っていたのは、「この感覚、たぶんこの方だけじゃないな」ということだった。
一人の時間が「空白」になる感覚
以前、「繊細さん」という言葉が広まったとき、私なりに感じていたことがある。ラベルがつくと安心する一方で、そのラベルの先にあるものが見えにくくなるのではないか、と。
一人の時間が怖いという感覚も、似ている気がする。「内向的だから一人が好き」と言われがちだけど、好きなのと平気なのは違う。一人でいること自体は苦痛じゃなくても、一人でいる自分の価値が揺らぐ瞬間がある。
予定がないこと。誘われないこと。声をかけてくれる人がいないこと。
それが「自分には人とのつながりがない」という証拠のように感じられてしまう。一人の時間が「充実した静けさ」ではなく、「誰にも必要とされていない空白」に変わる瞬間。
その境界線は、たぶんとても薄い。
月に一度の通話が変えたもの
その方は、しばらく通話コースを月に一度、利用してくれていた。
特別な相談があるわけではないと毎回おっしゃっていた。今週あったこと、最近読んだ本のこと、職場の些細な出来事。フレンドに話す内容は、いつもそんな感じだったと聞いている。
三ヶ月くらい経ったころだったと思う。フレンドから報告があった。「最近、雰囲気が少し変わった気がします」と。
「一人の土曜日に、パンを焼いてみました」
その方が通話の中でふとこぼした一言だったらしい。
一人の土曜日に、パンを焼いた。ただそれだけのこと。でもその方にとっては、それが大きな変化だったのだと思う。
以前なら、予定のない土曜日は「何もできない日」だった。布団の中でSNSを眺めて、自己嫌悪に沈んで、気づいたら夕方になっている。その繰り返しだったと言っていた。
それが、パンを焼いてみようと思えた。
私はこの話を聞いたとき、正直に言うと、嬉しいというより不思議な感覚だった。通話で話す内容は日常のたわいもない話ばかりで、何かアドバイスをしたわけでもない。フレンドもただ聞いていただけだと言う。
なのに、なぜパンを焼けるようになったのか。
たぶん、これは私の推測でしかないけれど、「来週また話す相手がいる」という感覚が、一人の時間の質を変えたのではないかと思う。
つながりが「ある」前提の一人時間
一人でいることと、孤立していることは違う。
一人でいても、「来週、あの人と話せる」「この前こんな話をした」という記憶がどこかにあると、一人の時間が空白ではなくなる。少なくとも、そう見えた。
その方は、あるとき「一人の時間が好きになってきたかもしれない」と言ってくれた。怖い、から、好き。その変化がどのくらいの期間で起きたのか、正確にはわからない。たぶん本人にもわからないと思う。
ただ、「好き」と言えるようになった背景には、「一人でも大丈夫だ」と思える何かがあったのだろう。それは誰かとのつながりの記憶なのか、自分に対する信頼なのか、もしくはその両方なのか。
うまく言えない。でも、この仕事をしていると、「一人の時間の質が変わった」という報告を何度かもらうことがある。
ふと思い出したけれど、ある方は一人で推し活のイベントに行けるようになったと話してくれたこともあった。
一人で何かを楽しめるようになる。それは外向的になったということではなくて、一人の自分を肯定できるようになった、ということなのかもしれない。
私が「変化」について慎重になる理由
こういう話を書くと、「レンタルフレンドを使えば変われます」というメッセージに見えるかもしれない。
でも、私はそう言い切りたくない。
変化が起きた方もいれば、まだ途中の方もいる。何も変わらなかったと感じている方もいるかもしれない。それは全部、その人のペースであって、サービスの「効果」として測れるものではないと思っている。
パンを焼けるようになった、あの方の話。あれはその方自身の力だ。私たちはただ、月に一度、話を聞いていただけにすぎない。
でも、「ただ話を聞いてもらえる場所がある」ということが、その方にとっての支えになっていたのだとしたら、この仕事をやっている意味が少しだけ見えた気がした。
少しだけ、という言い方が正確だと思う。大げさなことは言えない。
一人の時間が怖いと感じているあなたに、「大丈夫ですよ」とは私には言えない。でも、「怖い」と感じること自体は、おかしくない。そう思っている人は、あなたが思っている以上に多いと、この仕事を通じて知った。
それだけを、今日は書いておきたかった。

