「あの、今日は特に相談とかないんですけど、大丈夫ですか?」
予約の事前メッセージで、そう聞いてきた方がいた。
文面を読んで、私は少し手が止まった。大丈夫ですか、という問いかけの裏に、「こんな理由で使ってもいいんでしょうか」という遠慮が見えた気がしたからだ。
すぐに「もちろんです」と返した。それだけでは足りない気がして、「何もなくても全然大丈夫ですよ」と付け加えた。我ながら語彙が少ない返事だなと思ったけど、気持ちとしてはそのまんまだった。
「用事がないと会えない」という思い込み
当日、その方はカフェに来て、コーヒーを頼んで、しばらく窓の外を見ていた。フレンドも隣に座って、同じように外を見ていた。
会話がないわけじゃなかった。でも、話題に一貫性がなかった。天気の話をして、最近見たドラマの話をして、急に「このカフェのBGM、いいですね」と言って、また黙る。
それだけの時間だった。
フレンドから後で聞いた報告に、こうあった。「終わり際に、『こんなんでいいんですか? 私、何も話してないですよね』と笑っていました」と。
たぶん、その方の中では「何か相談しないと意味がない」「せっかくお金を払っているのにもったいない」という気持ちがあったんだろうと思う。でもそれは、友達に会うときに「用事がないと誘えない」と感じるのと似ている。
目的のない時間が怖い人がいる
これは私の感覚だけど、内向的な方の中には「意味のある時間」にしなきゃという気持ちが強い方が多い気がする。相手の時間を無駄にしたくない。自分が相手にとって退屈じゃないか不安になる。だから会話に「目的」を持たせようとする。
相談があれば、時間の意味を証明できる。悩みがあれば、会っている理由になる。
逆に言えば、「ただなんとなく一緒にいたい」という気持ちだけでは、人と会う理由にならないと思ってしまう。
一人が寂しい。誰かと一緒にいたい。でも、会う理由がない。
この三つが同時に存在するとき、人はどうするか。たいてい、我慢する。寂しいまま、一人で過ごす。
カフェで隣にいるだけの午後
その方が帰ったあと、フレンドと少し話した。
「今日、ほとんど何もしてないんですけど、よかったんですかね」とフレンドが聞いてくる。私は「よかったと思うよ」と答えた。
でも正直、私もずっと考えていた。何もしない時間に、お金を払ってもらうということの意味を。
以前にも似たことがあった。ほぼ無言で2時間を過ごして、「最高でした」と言われたことがある。
あのときも戸惑った。何がよかったのか、正直よくわからなかった。でも今は、少しだけわかる気がする。
「何もしなくていい」と言われることの重さ
ふだん、誰かと一緒にいるとき、人は何かしらの役割を担っている。聞き役になる、話題を振る、場を盛り上げる、気を遣う。特に内向的な方は、そのどれもが消耗する作業になりやすい。
だから「何もしなくていい」「ただいるだけでいい」と言われる経験が、ほとんどない。
あの方が「こんなんでいいんですか?」と笑ったとき、その笑顔はたぶん、安堵だったんじゃないかと思う。何もしなかった自分を、責めなくてよかったという安堵。
ふと思い出したのだけど、私は学生の頃、図書館が好きだった。本を読むためというより、知らない人たちと同じ空間にいるのが心地よかったからだ。誰も私に話しかけないし、私も誰にも話しかけない。でも一人じゃなかった。あの空気に近いのかもしれない。
用事がなくても、ここに来ていい
「ふたりしずかに」を利用する方の全員が、明確な悩みを持って来るわけではない。
「特に何もないんですけど」と言いながら予約をしてくれる方が、思った以上に多い。その方たちの多くは、最初にあの一言を付け加える。「こんな理由で使っていいんですか?」と。
いいんです。
というか、私はそういう使い方をしてくれる方がいると知ったとき、嬉しかった。サービスを始めたとき、「悩みがある人が使うもの」としか想像していなかった自分の視野が狭かったことに気づかされた。
誰かと一緒にいたい。何もしなくていい。ただ、一人じゃない時間がほしいだけ。
それは十分すぎる理由だと、今の私は思っている。
まだうまく言葉にできないけれど、「何もしない」をサービスとして提供しているんだと言われたら、たぶんそうなんだと思う。少し変な話かもしれないけれど。

