深夜に体調を崩して、電話できる相手がいないと気づいた夜。
病院に一人で行けないことは、体の問題ではなく「頼れない」ことの問題だった。
一人暮らしの女性が病院の付き添いを頼むまでの葛藤を、レンタルフレンド「ふたりしずかに」の運営者が綴ります。
夜中の2時に、電話できる相手がいない
深夜にお腹が痛くなったことがある。
たぶん食べ合わせが悪かったんだと思う。大したことではなかった。でもあのとき、布団の中で膝を抱えながら、ふと思った。これがもっとひどかったら、私は誰に電話するんだろう、と。
結局その夜は一人でやり過ごした。翌朝にはケロッとしていて、「なんだ、大丈夫だったじゃないか」と自分に言い聞かせた。でもあの数時間、暗い部屋の中で感じた心細さは、腹痛とは別のところにずっと残っていた。
この話をしたのは、似たことを話してくれた方がいたからだ。
「病院に一人で行けないんです」と、その方は少し恥ずかしそうに言った。
行けないのではなく、行きたくないのでもなく
正確には、一人で行くこと自体はできる。足が動かないわけではない。
でも、一人で待合室に座って、名前を呼ばれて、診察室に入って、先生の話を聞いて、会計を済ませて、薬をもらって、帰る。その全部を、誰の力も借りずにやらなければならないと思うと、「今日はやめておこう」になる。
そうやって先延ばしにした結果、症状が悪化してから慌てて駆け込む。それを繰り返してしまう、と。
この方が話してくれたのは、もう少し踏み込んだ話だった。一人暮らしを長くしていて、体調を崩したときに頼れる人がいない。実家は遠い。友人はいるけれど、「病院についてきて」とは言えない。
「そんなこと頼んだら、重いじゃないですか」
その言葉を聞いたとき、私はまた少し黙ってしまった。頼みたい気持ちはある。でも、頼むことで関係が変わってしまうのが怖い。相手に負担をかけたくない。迷惑だと思われたくない。
病院に一人で行けない本当の理由は、体調の問題ではなくて、「頼れない」ことの問題なのだと思った。
夜の救急外来の話
別の方から聞いた話で、忘れられないものがある。
夜中に急に胸が苦しくなって、救急車を呼ぶかどうか迷った、と。結局タクシーで救急外来に行ったらしい。結果は大事には至らなかった。ストレスからくる症状だったようだ。
でもその方が話してくれたのは、病気そのものの話ではなかった。
「タクシーの中で、運転手さんに話しかけられたのが嬉しかったんです」
夜中の2時に、具合が悪くて、一人でタクシーに乗っている。運転手さんが「大丈夫ですか、病院ですよね」と声をかけてくれた。それだけのことが、涙が出るほどありがたかった、と。
私はこの話を聞いたとき、胸が詰まった。
たぶん、この方に必要だったのは医療だけではなかった。誰かが「大丈夫ですか」と言ってくれること。自分の異変に気づいてくれる人がいること。それが欲しかった。
一人暮らしの夜に体調を崩すと、病気のつらさと孤独のつらさが同時に来る。そしてたいていの場合、あとから効いてくるのは孤独のほうだ。体は治っても、「あのとき一人だった」という記憶は残る。
ふと、自分の親のことを思い出した
話が少しそれるけれど、このエピソードを聞いたとき、私は自分の母親のことを思い出していた。母は数年前に手術を受けた。たいした手術ではなかったけれど、私は付き添った。待合室でぼんやりテレビを見ながら母を待っていた、その時間のことを覚えている。
あのとき母は、手術自体よりも「誰かがここで待っていてくれる」ことに安心していたのだと、あとで気づいた。
待合室にいる人間は、何もしていない。ただ座っているだけだ。でも、「ここに誰かがいる」という事実だけで、人の不安は和らぐことがある。
病院の付き添いとは、そういうものなのだと思う。何かを代わりにやってあげることではなく、ただ同じ場所にいること。それだけで意味がある。
頼むことの練習
病院に一人で行けない、というご相談からフレンドとの同行が実現したケースがいくつかある。
ある方は、最初に「行き帰りだけ一緒にいてほしい」と言っていた。待合室には一人で座れるし、診察も一人で受けられる。でも、病院に向かう道と帰り道だけは、誰かがいてくれたら心強い。そういう依頼だった。
そのフレンドの報告を読んで、少し驚いたことがある。帰り道で、その方が「すごく緊張したけど、行けてよかった」と言ったらしい。フレンドは「病院お疲れさまでした」と返した。それだけのやりとりだったけれど、その方はとても嬉しそうだったと書いてあった。
「お疲れさまでした」と言ってもらうこと。たぶん、一人で病院に行ったら、誰にも言ってもらえない言葉だ。
以前、転勤先で知り合いがゼロになった方の話を書いた。その方も最初は「こんなことで人に頼っていいのかな」と迷っていた。病院の付き添いを頼む方も、同じように迷っている。
「こんなことで頼んでいいのかな」。
その言葉を、私はこの仕事をしていて何度聞いただろう。
いいに決まっている、と言いたい。でもそう言い切ってしまうと、迷っていた時間が否定されるような気がして、少し言葉を選んでしまう。だから私はいつも、こう返すようにしている。「迷いながら連絡してくださったこと自体が、すごいことだと思います」。
それは本心だ。
料金のことが気になる方には、こちらに正直に書いています。病院の付き添いも、通話も、対面でカフェで話すのも、料金の仕組みは同じだ。特別な料金が発生するわけではない。
一人で病院に行ける人が偉いわけではない
世の中には、一人で病院に行くことを当たり前だと思っている人がたくさんいる。実際、大人なんだから一人で行けて当然、という考え方は理解できる。
でも私は、一人で行けるかどうかが、その人の強さや自立の指標だとは思わない。
病院は、自分の体の弱い部分と向き合う場所だ。不安で当然なのだと思う。誰かにそばにいてほしいと感じることは、弱さではなく、自分を大切にしているということだと私は受け取っている。
一人暮らしで体調を崩した夜。救急外来のタクシーの中。待合室の硬い椅子。検査結果を聞くあの瞬間。
そういう場面で「一人は平気」と思える人も確かにいる。でも「一人はしんどい」と感じる人がいたとして、その人が助けを求めることは、何もおかしくない。
付き添いが必要だと思ったら、頼んでいい。それは当たり前の話なのに、当たり前だと思えない人がたくさんいる。だから私はこうして書いている。
結論が出るような話ではない。ただ、病院に行けなくて困っている方が、この文章を読んで少しでも「ああ、同じような人がいるんだな」と思ってくれたら、それだけで十分だと思う。

