50本目のコラムを書いている。
こう書くと、なんだかちゃんとしているように見えるけれど、実際にはパソコンの前でしばらく手が止まっていた。
最後に何を書けばいいのか、わかっているようでわかっていない。まとめようとすればするほど、言葉が逃げていく。
このブログを最初に書いた夜のことを、ふと思い出す。
あの頃はまだ、誰が読んでくれるのかも見えていなかった。ただ、自分がこの仕事を始めた理由を、嘘なく書こうとしていた。それだけだった。
ここまで読んでくれたあなたのこと
50本。正直なところ、全部を読んでくれた方がいるとは思っていない。
たぶん、検索でたどり着いて、1本だけ読んで閉じた方もいると思う。
途中で「長いな」と感じて離れた方もいるだろう。それでいい。全部読む必要はないし、全部が響く必要もない。
ただ、もし今このページまでたどり着いてくれている方がいるのなら。
ありがとう、とだけ言いたい。
私はこのコラムを書きながら、いつも一人の読者を想像していた。
顔も名前もわからない。でも、画面の向こうで、少し迷いながらスクロールしている人がいるんだろうな、と思っていた。
「こんなサービスを検索している自分はおかしいんじゃないか」と感じながら、それでもタブを閉じられない人。何度もページを開いて、何度もブラウザを閉じて、またここに戻ってきた人。
その感覚を、私はおかしいとは思わない。
迷いながらここにいること
ある方が言っていた。「このサイトを2ヶ月くらい見ていました」と。
2ヶ月。その間に何度ページを開いたのかは聞けなかったけれど、きっとそのたびに少しだけ胸がざわついていたんじゃないかと思う。
頼りたい気持ちと、頼ることへの後ろめたさが、同時に存在していたんだろう。
私にはそれを解消する力はない。でも「2ヶ月かかっても来てくれたんですね」と返すことはできる。その方はちょっと笑って、「はい、やっとです」と言った。
そのやりとりを、今も覚えている。
書ききれなかったこと
このコラムを通して伝えたかったことは、たぶんシンプルだ。
友達が少なくても、人付き合いが苦手でも、話し相手がいなくても、あなたが悪いわけじゃない。
環境や性格やタイミングが重なって、そうなっただけのこと。そしてそういう状況を変えるために誰かの力を借りるのは、弱さでも甘えでもない。
ただ、これをまっすぐ書いてしまうと、どうしても説教くさくなる。だから50本かけて、いろんな角度から、利用者の言葉や私の経験を通して伝えようとしてきた。
「ただ聞いてほしかっただけなんです」と言ってくれた方の話を書いたときは、あの一言の重みをどう文字にするかで何日も悩んだ。
帰り道にちょっと泣いたという報告を受けた夜のことも、何も話さなかった2時間を「最高でした」と言われたときの戸惑いも。全部、私が受け取ったものだ。
それを並べてきただけのブログだったと思う。
この仕事を続けている理由
ときどき聞かれる。「なんでこの仕事を続けてるんですか」と。
うまく答えられたことがない。儲かるからでもないし、社会的に意義があると胸を張れるほど立派な動機もない。
ただ、利用が終わった後に届くメッセージを読むと、やめられないなと思う。
「少し楽になりました」とか「また来てもいいですか」とか。大げさな感想じゃない。小さくて静かな言葉が、そのまま私の燃料になっている。
あ、昨日フレンドの一人から「最近ちょっと太りました」ってLINEが来て、業務とは関係ないのに笑ってしまった。こういうのも含めて、この仕事が好きなんだと思う。たぶん。
「ふたりしずかに」という名前のこと
サービスの名前を決めるとき、いくつか候補があった。英語の名前もあったし、もっとキャッチーな案もあった。
でも最終的に残ったのが「ふたりしずかに」だった。
理由は単純で、この名前が一番、私がつくりたい時間を表していたから。賑やかじゃなくていい。感動的じゃなくていい。ただ、二人で静かにいられる時間。それだけでいい。
控えめに。静かに。でも確かに。
そんな時間が、あなたにも必要なんじゃないかと思った。必要じゃないなら、それでいい。
でももし「そうかもしれない」と少しでも感じたなら、それはたぶん、あなたが自分の気持ちに正直になれた瞬間だ。
あなたのとなりに
押し売りがしたいわけじゃない。50本分の言葉を読んでくれた方に、今さら売り込む気もない。
ただ、一つだけ。
もしこのブログを読んで、「ちょっとだけ気になる」と思ったなら。
その「ちょっと」を、大事にしてほしい。1ヶ月かかっても、2ヶ月かかってもいい。あなたのペースで。
私はここにいます。フレンドたちも、ここにいます。
ふたりしずかに、過ごせる時間を。あなたがそれを選んでくれたら、私はただ嬉しい。

