【オーナーコラム#3】「人見知りは直すもの」という呪いを解きたかった

【オーナーコラム#3】「人見知りは直すもの」という呪いを解きたかった

「子どもの頃から人見知りで、ずっと直さなきゃと思って生きてきました」

問い合わせメッセージに書かれていたこの一文に、私は画面の前で動けなくなった。

人見知りは本当に「直す」ものなのか。

内向的な女性専用レンタルフレンドの運営者が、自身の原体験とともに問いかけます。

目次

「人見知りは直すもの」という呪いを解きたかった

「もっと明るくなりなさい」

子どもの頃、親戚の集まりで言われたこの一言を、いまだに覚えている。

私の話ではありません。問い合わせのメッセージに、こう書いてあったことがあるのです。「子どもの頃から人見知りで、ずっと直さなきゃと思って生きてきました」と。

そのメッセージを読んだとき、私は画面の前でしばらく動けなかった。

その方の何十年ぶんの重さが、たった二行に詰まっているように感じたからだ。

人見知りは直すもの。

この言葉が、どれだけ多くの人を追い詰めてきたのだろう。

私がこのサービスを作るとき、一番最初に決めたのは、「人見知りを直す場所にはしない」ということでした。

「直す」という言葉の暴力性について

人見知りを直したい。そう検索する人は、たぶん本当に困っている。

初対面の人とうまく話せない自分が嫌で、職場の飲み会が怖くて、新しい環境に飛び込むのにものすごくエネルギーを使う自分に疲れている。

その気持ちは、私にもわかります。

でも「直す」という言葉には、前提がある。「今のあなたには不具合がある」という前提。壊れたものを修理するように、内向的な性格を外向的に変換することが「正しい」という前提。

この前提自体が、おかしいのではないか。

私がそう考えるようになったのは、ごく個人的な経験がきっかけです。

私自身が言われてきたこと

少し恥ずかしい話なのですが、私も子どもの頃から口数が少ないほうだった。友達が多いタイプではなかったし、教室の隅でずっと本を読んでいるような子どもだった。

通知表にはいつも「もう少し積極的に発言しましょう」と書かれていた。

先生にとっては親切なアドバイスだったのだと思う。でも子どもの私にとっては、「あなたのままではダメです」という通告に聞こえていた。

大人になってから思い返すと、あの通知表の一文が、長い間ずっと自分の中にこびりついていたことに気づく。

積極的に発言できない自分は劣っている。人付き合いが苦手な自分には何かが足りない。

そういう感覚が、骨の髄まで染み込んでいた。

たぶん、これを読んでいるあなたにも、似たような記憶があるのではないでしょうか。

  • 親に「もっとハキハキしなさい」と言われた記憶。
  • 就活の面接で「コミュニケーション能力」を求められて胃が痛くなった記憶。
  • 職場で「もう少し自分から話しかけてみたら?」と善意で言われて、かえって落ち込んだ記憶。

善意なのだ。言っている側に悪気はない。でも善意だからこそ、受け取る側は反論できない。

「直そうとしない私が悪いんだ」と、自分を責めるほうに向かってしまう。

人見知りは「克服」しなくていい、と言い切れるまで

正直に言うと、サービスを始めた当初から、この考えに確信があったわけではありません。

「内向的なままでいい」と理念として掲げるのは簡単だ。でも本当にそれでいいのだろうか、という迷いは、しばらくの間ずっとあった。社会はコミュニケーション能力を求める。

就職も、恋愛も、友人関係も、「外に開いていける人」のほうが有利にできている。その現実を無視して「そのままでいい」と言うのは、無責任ではないか。

でも、この仕事をしていくうちに、少しずつ見えてきたものがある。

「ふたりしずかに」に来てくれる方の多くは、人見知りを克服しようとして、すでにたくさんのことを試してきた人たちだった。話し方の本を読んだ。

コミュニケーション講座に通った。無理をして飲み会に参加した。マッチングアプリで知らない人に会った。

それでもうまくいかなくて、疲れ果てて、ようやくここにたどり着いた。

そういう方を前にして、「もっと頑張りましょう」とは、私には言えなかった。

「そのままでいい」は甘やかしなのか

「人見知りを直さなくていい」と言うと、「それは甘えだ」「努力を否定している」と言われることがあるかもしれません。

ここは少し丁寧に書いておきたい。

私は、変わろうとする努力を否定しているわけではないです。人前で話す練習をしたい人がいれば、それは素晴らしいことだと思う。

コミュニケーションのスキルを磨きたい人がいれば、その挑戦を応援したい。

ただ、前提として「今の自分には欠陥がある」と思い込んだ状態で努力を重ねるのは、しんどい。穴の空いたバケツに水を入れ続けるようなものだ。

どれだけ頑張っても「まだ足りない」「まだダメだ」と感じ続ける。

先に必要なのは、穴を塞ぐこと。つまり、「内向的な自分はこれでいい」と一度受け入れること。そこが土台にあって、初めて変化は健全なものになる。

私のサービスが「直す」ではなく「そのままで大丈夫」を前提にしているのは、そういう考え方がもとになっています。

だからこのサービスでは、「明るくしよう」とか「もっと話しましょう」と言わない、と決めているのですが、その話はまた別の記事で詳しく書きました。

呪いは、解けるものだと思いたい

話が少し逸れるのですが、先日、古い知人と久しぶりに会ったときのこと。「お前、昔よりよくしゃべるようになったな」と言われて、自分でも驚いた。

たしかに、この仕事を始めてから、人と向き合う時間が増えた。

でも私は、外向的になったわけではない。根っこは変わっていない。ただ、「このままの自分でもやっていけるんだ」と思えるようになっただけだ。

自分を否定しなくなると、不思議と力が抜ける。力が抜けると、前より少しだけ自然にしゃべれる。

これは私個人の体験でしかないけれど、たぶん同じような変化は他の人にも起こりうるのだと思います。

内向的なまま、自分の世界を広げていった方たちの話を、このブログの後半で書く予定です。

その方たちを見ていると、「人見知りを直す」のではなく「人見知りのまま、自分に合うやり方を見つけた」という言い方のほうがしっくりくる。

「人見知りは直すもの」という呪いは、一人で解こうとすると苦しい。

だから、誰かと一緒にいる時間の中で、少しずつ緩んでいくといい。

声に出して「直さなきゃ」と言ったとき、「別にいいんじゃないですか」と返してくれる人がいること。それだけで、何かがほどけることがある。

私はこの仕事を通じて、そういう場をつくりたかった。今も、つくり続けている途中です。

次の記事では、「話し相手がいない」ということを自分の欠点のように感じている方に向けて、私が考えていることを書きます。

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