「本当は、ずっと一人で来てたんです」
ライブ会場のロビーでそう言った方の手は、少し震えていた。
推し活を一緒に楽しむ人がいない寂しさ。好きなものを好きだと言える場所がない孤独。
レンタルフレンドの運営者が、ある同行依頼の日を振り返る。
開演前のロビーで、その方は泣きそうだった
予約の連絡をもらったとき、正直に言うと少し驚いた。
「ライブに一緒に行ってくれるフレンドさんって、いますか?」
推し活の同行。うちに来る依頼としては、珍しい部類に入る。
「ふたりしずかに」には、
- 話し相手がほしい
- 散歩に付き合ってほしい
- ただ黙って隣にいてほしい
そういう依頼が多い。ライブ会場という場所が指定されたのは初めてに近かった。
少し迷った。対応できるフレンドがいるかどうか。
会場の雰囲気に馴染めるかどうか。でも、メッセージの文面からにじんでいた切実さに、断るという選択肢は浮かばなかった。
担当したフレンドから後日、その日のことを聞いた。
会場のロビーで合流したとき、その方の手がわずかに震えていたそうだ。
緊張というより、もっと別の何か。フレンドが「楽しみですね」と声をかけると、その方は少し笑って、でもすぐにうつむいて、こう言ったらしい。
「本当は、ずっと一人で来てたんです」
推し活が好きだということ。でも、一緒に行く人がいない。
周りはみんな連番で来ていて、一人でいる自分がどうしても目立つ気がする。
それが嫌で、だんだん足が遠のいていたのだと。
フレンドは「うん」とだけ返して、黙って隣に立っていたそうだ。
一人で楽しめるはずのものが、一人では楽しめなくなるとき
これは私の感覚だけど、推し活って、もともとは一人でも十分成り立つ趣味のはずだ。
- 好きなアーティストのライブを観に行く
- グッズを買う
- SNSに感想を書く
別に誰かと一緒じゃなくても、楽しいものは楽しい。
でも、会場に着いた瞬間に変わる。
- 隣で同じ曲に手を振る人がいる光景。
- 開演前に「やばい、緊張する」と笑い合っている二人組。
- 物販の列で「これ絶対買おう」と相談し合っている声。
そういう風景の中に一人で立っていると、好きなものを好きでいることの孤独みたいなものが、ふっと顔を出す。
たぶん、推し活に一緒に行く人がいないことを寂しいと感じるのは、「推し」が嫌いになったわけじゃない。
ただ、好きなものを共有する相手がいないという事実が、好きという感情に影を落とすのだと思う。
ある方は「ライブ自体は最高なんです。でも帰り道がつらい」とおっしゃっていた。
感動を持って帰る先に、誰もいない。余韻を分かち合う相手がどこにもいない。
あの興奮を「今日やばかったね」と口にする瞬間が、永遠に来ないまま電車に乗る。その感覚は、私にもわかる気がする。
こういうことを書くと、「じゃあSNSで語ればいいじゃん」と思う方もいるかもしれない。
でも、画面越しの共感と、同じ空気を吸った人との共感は、やっぱり違う。
それは優劣の話ではなくて、体で感じる温度が違うのだと思う。
隣で「同じ景色」を見ているということ
フレンドから聞いた話の続き。
開演して、照明が落ちて、最初の一音が鳴った瞬間。その方は、ぱっと顔を上げたそうだ。
それまでの不安そうな表情が、嘘みたいに消えていた。好きなアーティストが目の前にいるという、ただそれだけのことで人はこんなにも変わるのかと、フレンドは横で少し驚いたらしい。
フレンドはそのアーティストのことを詳しく知らなかった。でも、曲に合わせて一緒に手を挙げて、拍手して、MCで一緒に笑っていた。
知っているかどうかなんて、どうでもよかったのだろう。
同じ空間で、同じ音を浴びて、同じタイミングで体が動く。それだけで十分だったのだと思う。
終演後。会場を出たその方が、フレンドに向かってこう言ったそうだ。
「隣に誰かがいるだけで、こんなに違うんですね」
その一言を報告で聞いたとき、私は少し黙った。
うまく言えないけど、この仕事をやっていてよかったと思う瞬間がときどきある。これはそのひとつだ。
ふと、全然関係ないことを思い出した。私自身、昔よくライブに一人で行っていた時期がある。
好きなバンドの対バンイベントで、周りが盛り上がっている中、知らない曲に乗れなくて手持ち無沙汰になる、あの感じ。
別に嫌じゃなかったけど、隣に「今の良かったね」と言える人がいたら、たぶん帰り道の景色はもう少し明るかったと思う。
「好き」を共有できる場所がなかった人たち
推し活の同行依頼を受けるようになって気づいたことがある。
依頼してくれる方の多くは、好きなものへの情熱はとても深い。
グッズの話をするとき、目が輝く。セットリストの予想を語るとき、早口になる。好きという気持ちに嘘がない。
でも、それを周囲に共有できていない。友達に推しの話をしても「へえ」で終わる。
職場では趣味の話自体しづらい。
SNSで繋がったオタク仲間はいるけれど、リアルで会うのはまた別のハードルがある。
結果として、好きなものを好きだと声に出す場がない。
一緒に行く人がいないからライブを諦める。それは、推し活の問題だけじゃなくて、もっと根っこにある孤独の話だと思う。
フレンドは「オタク仲間」にはならない、けれど
ひとつ正直に書いておきたいことがある。
フレンドは、あなたの推しを同じ熱量で好きにはならない。一緒にライブに行っても、そのアーティストの歴史や楽曲の文脈まで共有しているわけじゃないから。
「あの曲のあのアレンジが最高だった」という話を、同じ温度で語り返すのは、たぶん難しい。
それでも。
同じ空間にいて、同じ音を聴いて、隣で笑ってくれる人がいるということ。帰り道に「楽しかったですね」と言い合えるということ。
それは、オタク仲間とは違う形だけど、確かに何かを満たしてくれるものだと、依頼者の表情を見ていて思う。
推し活だけじゃなくて、たとえば結婚式に一緒に行ってほしいという依頼もある。
「一緒にいてくれる人がほしい」という気持ちの形は本当にいろいろで、私はこの仕事をしながら、その「いろいろ」に毎回少し驚く。驚いて、それからじわっと、嬉しくなる。
あの日、ライブ会場のロビーで手を震わせていた方は、その後も何度かフレンドと推し活に出かけたと聞いている。最近のメッセージには「次は遠征したいです」と書いてあった。
私はそれを読んで、ちょっと笑ってしまった。遠征。あのとき、地元のライブハウスに来るだけで精一杯だった方が、遠征。
人が前を向くときの姿は、いつだって少しだけ滑稽で、でもとても眩しい。
好きなものを好きでいるために、誰かの手を借りる。それはおかしなことじゃない。少なくとも、私はそう思っている。

