「もう大丈夫です。ありがとうございました」。ある利用者から届いた短いメッセージ。嬉しかった。
でも同時に、少しだけ寂しかった。
レンタルフレンドを卒業していく人を見送るとき、運営者が感じる正直な気持ちと、「依存させないサービス」でありたいという理念について書きました。
「もう来なくても大丈夫そうです」
ある方から、最後の利用のあとにメッセージが届いた。
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
短い文章だった。絵文字もなかった。でも、その一行を読んだとき、私はしばらくスマホの画面を見つめたまま動けなかった。
嬉しかった。それが一番大きい感情だったと思う。でも正直に言えば、同時にぽっかり何かが抜けた感じもあった。よかった、と思いながら、少しだけ寂しい。この感覚を何と呼べばいいのか、今もうまく言えない。
月に一度、カフェで会っていた方のこと
その方は30代で、最初の予約のときは声が小さくて、フレンドの目もあまり見られないような状態だった。フレンドからの報告にそう書いてあった。
「何を話したらいいかわからなくて、ずっと手元を見ていらっしゃいました」と。
月に1回のペースで利用してくださっていて、最初の3回くらいは、ほとんどフレンドが話を引き出すような時間だったらしい。沈黙が怖い、でも何を言えばいいかわからない。そういう方だった。
それが半年くらい経ったころから、フレンドの報告の雰囲気が変わりはじめた。「今日は〇〇さんのほうから話題を振ってくれました」「笑い声が増えました」。
私はそれを読みながら、たぶん少し安心していた。少し、というのが正しいと思う。劇的な何かではなくて、「ああ、よかった」くらいの温度。運営者としてはそれくらいがちょうどいいと思っている。
「卒業」という言葉に、胸がざわつく理由
この仕事をしていると、「卒業」に近い形でサービスから離れていく方がいる。
予約の間隔が空いていって、ある日ぱたっと連絡がなくなる。それだけのことも多い。わざわざ「やめます」と言ってくる方のほうが少ない。でもたまに、さっき書いたように「もう大丈夫です」と伝えてくれる方がいる。
そのたびに、私は少し立ち止まる。
嬉しいに決まっている。その方が「ふたりしずかに」を必要としなくなったということは、それだけ日常が安定してきたということだから。フレンドとの時間が、少しでもその過程に関わっていたなら、この仕事をしている意味がある。
でも、やっぱりざわつく。
ふと、昔バイトしていた飲食店のことを思い出す。常連さんが来なくなると、なんとなく気になっていた。元気かな、とか、何かあったのかな、とか。今の仕事はそれとはまったく性質が違うのだけれど、あの感覚にちょっとだけ似ている気がする。
依存させないサービスでありたい
利用する前から「ずっと使い続けないといけなくなりそうで怖い」とおっしゃる方がいる。その気持ちは、私にはよくわかる。
レンタルフレンドに限らず、何かに頼ることを「依存」と感じてしまう人は多い。特に、一人でなんとかしてきた期間が長い人ほど、その傾向がある。
だから私は、「ふたりしずかに」は長く使い続けることがゴールではないと考えている。
もちろん、続けて利用してくださる方はありがたい。でも本音を言うと、「もういいかな」と感じてもらえる日が来ることのほうが嬉しい。
フレンドとの時間を通じて、自分のペースで話すことに慣れて、少しだけ人との距離感がわかって、それで日常に戻っていく。そういうサービスでありたいと思っている。
以前、依存の心配について正直に書いた記事がある。→こちらで詳しく触れています
「大丈夫」の裏側にあったもの
卒業していった方の話に戻る。
最後のメッセージを読んだあと、フレンドとその方の経緯を振り返った。初回の沈黙。少しずつ増えた笑い声。途中で「職場で話せるようになってきた」と報告してくれたこと。そして最後の「もう大丈夫です」。
たぶんその方にとって、「大丈夫」と言えるようになるまでの時間は、外から見えるより長かったはずだ。その言葉を送るまでにも、きっと迷いがあったと思う。
レンタルフレンドを使っていたことを、誰にも言っていなかったかもしれない。友達をお金で頼むことに、最後まで少しだけ後ろめたさがあったかもしれない。それでも「大丈夫」と打てたのは、その方の力だと思う。
私やフレンドは、ほんの少しだけ隣にいただけだ。
去っていく人を見送る側のこと
これは運営者としてのたぶんエゴなのだけれど、「卒業」を見届けたいという気持ちがある。
全員がきれいに挨拶をして去っていくわけではない。連絡がなくなるだけの方もいるし、合わなくて1回で終わる方もいる。それはそれで自然なことだと思う。
ただ、ときどき「ありがとうございました」の一言が届くと、私はその日のことを長く覚えている。
フレンドにも報告する。「〇〇さん、卒業されたみたいです」と。するとフレンドも「そうですか」と、嬉しそうな、でもちょっと寂しそうな返事をくれる。
その空気が、私は好きだ。
誰かが必要としなくなったことを、送り出す側が静かに喜べる。そういうサービスでありたいし、そうでなければ続ける意味がないとも思う。
あなたがもし、辞めどきに迷っているなら
ここまで読んでくださっている方の中に、今まさに「もう予約しなくてもいいかな」と思っている方がいるかもしれない。
それはたぶん、いいサインだと思う。
「自分一人でも大丈夫かも」と思えること。それを私は否定したくない。
もしまた必要になったら、いつでも来てくれればいい。予約が空いても、フレンドは誰も気にしない。間が1ヶ月空こうが半年空こうが、そこに理由は要らない。
そういえば、卒業したあの方から、半年後にまた連絡が来た。「ちょっとまた話したくなりました」と。
私は普通に「お待ちしています」と返した。
戻ってくることも、来ないことも、どちらも正解だと思っている。
このコラムをここまで読んでくれているあなたにも、いつか伝えたいことがある。

